2014年12月6日土曜日

【祈りについて】

【祈りについて】

最近、「朝1分間の祈り 友の会」というものを立ち上げました。
何の拘束もない、各自勝手にやる会です。
集会も会費もありません。
勿論、無宗教無宗派です。

祈りは人間にとって実は必要な営みで、
ある意味で不可欠の栄養素と思って頂いて構いません。
それが足りないと、色々な欠乏症が出ます。...
どんな欠乏症かと言いますと、今の世の中がそのままです。

慌ただしく、攻撃的否定的で、寛容さがありません。
他人の目に動かされ、次から次へと起こる問題に終われて疲れ果てる。
政治も経済も社会も家庭も健康も、ここに原因の大部分があるのです。

祈りなどと言うと、宗教的と思われるかもしれませんが、
直接的な関係はありません。
そして祈りは頑張って祈るもの、
心の清い人がすること、
と思われるかもしれませんが、それは間違いです。

これから重要なことを言います。

「人間は、何もしていない時、
自動的に祈りの状態になる精神的存在なのです。」

朝1分間、というのは、朝のエネルギーが新鮮で強いからです。
祈りの状態になるのに適した波、というような感じです。
1分間であるのは、それ以上だと長すぎるからです。

祈りは1分もあれば通ります。
・・・と書いたところで、書き加えたいことがあります。
それは、「祈りとは、願いが叶うことではない」ということです。

じゃあ何?と思われるかもしれません。

「なるべきようになる」それが祈りなのです。
「なるべきようになっていない」それが祈りがない状態なのです。
実際、ほとんどの問題は、この一文ではないでしょうか。

「なるべきようになる」
これは自動的に行われます。
だから祈りに目標は要りませんし、
「・・・になりますように」は不要です。
どちらかと言うと、このような言葉があると駄目です。

祈りとは、魂のレベルに軸足を移す、ということを意味します。
普通、我々は肉体や感情や思考のレベルで生きています。
そこでは言語が大きな力を持ちますので、言語で理解も可能です。

魂のレベルは一層も二層も深く、言語的ではありません。
なので、魂のレベルにある時には、言語は通用しないし、
言語で把握もできないので、
何も考えず、思わず、で良いのです。

人間は何もしない、思わない、考えない状態になると、
自動的に魂のレベルに軸足が移し、
いわゆる「人生の不可思議」なエネルギーを行使し始めます。

そのような人は、
病気がひとりでに治ったり、
家族が和解したり、
仕事の問題が解決したり、そんなことが起きます。
本当の意味でクリエイティブな人は、話を聞いていますと、
だいたいみなさん自分なりの祈りをしているようです。

祈りは、何もしない状態なので、1分が限度です。
それ以上だと、雑念が湧いてきます。
1分だったらどうにか耐えられるでしょう、ということで、
1分間だけの祈りを推奨しています。

欲張って3分などせず、毎日繰り返すようにして下さい。

冒頭にも書きましたように、祈りは人間という存在にとって
不可欠の栄養素なのです。

興味のある方はお問い合わせください。

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