2014年12月12日金曜日

ブログ、移転します。

http://ameblo.jp/kawabemasanori/

移転します。

・・・が、もし「違うな~」と思ったらこちらに戻って参ります。

よろしくお願いします。

2014年12月11日木曜日

【霊性について】

【霊性について】
 人間は霊的存在です。昨日の記事で書いたように、人間の構成は精神8:肉体2、と私は経験的に理解しています。人生は、精神が望みを叶えるために展開していきます。だから、本当の意味で精神が望んでいないことは、叶わないようになっているのです。生まれてきた目的は自分の過去を浄化することかもしれないし、誰かと出会うことかもしれないし、自分に新しい挑戦をさせるためかもしれない。人によって様々です。
 スピリチュアルな言葉でよく語られる「魂の成長」という考えを信じないで下さい。魂は成長しません。なぜなら、魂はすでに完成され、自足しているからです。魂の成長は無い物ねだりで、自分を見ていない、大切にしていないことの裏返しでしかありません。勿論、生きている間に精神は変化も成長もします。しかしその望ましい形は、自分の本来の在り方、つまり魂の在り方に還っていくことであって、何かを新規に求めることで...はないのです。
 魂の在り方は、自分の趣味嗜好や信念や繰り返されるパターンの中に必ず現れています。自分の身に起きること、心に思うことに柔軟に忠実にあることが大切です。今すぐには出来なくても、それに近付いていこうとする意識が、自分を魂に近付けていきます。
 人間の霊性は、統計学や科学や一般論には計り知れない力を持っています。それは魔法と言って良いでしょう。しかし人間にとって、本来標準的な素質なのです。例えば、私は「思う」だけで人の体の状態を良い方に変えることが出来ます。なぜそんなことが出来るのかと言えば、それは私が自分の精神エネルギーの存在と個性を信じているからです。自分がそれを信じていない時、私はもっと堅実な、「他の人もやっている」やり方の中に自分を閉じ込めようとしていました。それは自己否定でしかありません。そのような時には、自分の本当の力は発揮されることなく、人の真似をしては完全なコピーを出来ない自分に出会いました。
 ヒーリングは確かに特殊能力ではあります。しかし人間の精神エネルギーが最も良い形で発揮されるのは、「存在していること」です。その人が自分の魂に沿い、その人の固有の精神エネルギーを充分に発揮している時、その人の周りでは沢山の起こるべきことが起き、他人を、関わる世界を良い方向に向かわせるのです。
 音楽や絵や料理、その他あらゆる創作活動において重視されるべきは、「その人の固有の精神エネルギーがそれを作っているか否か」という点です。世の中を見ますとほとんどのものは、精神エネルギーゼロです。売れる形、誰かがやっている形、お洒落な形、そればかりで、どんなに品の良いもの、上手なもの、美味しいものでも精神性が宿らず、精神性を軽視し拒否する現代の様相を表しています。そのような在り方でどれだけ良いもの、確かと思えるものを作り続けても、死や病気や人災、天災といった、もっと大きなエネルギーの前でまったく無力でしかありません。
 人の世を照らすことは、人間の生まれてきた目的であり、課題でもあります。人は人の世を照らすことが出来て初めて、意味を持てる存在なのです。人が一人ひとり、群れとしての大きな目的に気付き、人の真似をし、社会の真似をすることなく、自分に宿された自分だけの在り方を全うして生きられることを、強く望みます。

2014年12月10日水曜日

個展:年末、代官山・恵比寿

12月26日~29日、代官山・恵比寿のギャラリーで、個展を開きます。

今回は事実上の2人展で、小淵沢の友人に、額の制作をお願いしました。
出展する作品は、今回は思い付くままバラバラ、ではなく
互いに関連性のある連作としました。
1枚の絵から広がる予感を別の絵に繋げ、
すべてが関わり合いながら、直接には決して重なることのない、
結び目のゆるい服のように描き進めています。
(残すところあと1枚)
 

絵は次第に物語となり、今では架空の世界に地名も出来て、
地図も生まれつつあります。

この空想に確かな(文字通りの)「枠」を与えてくれた
もう一人の作家の素晴らしい額と共に、ご覧いただければ幸いです。


A.S ANTIQUES GALLERY,代官山
26日 17:00 - 19:00
27日 12:00 - 19:00
28日 12:00 - 19:00
29日 12:00 - 18:00 *最終日
*代官山正面口徒歩1分
恵比寿駅JR西口徒歩5分
渋谷区恵比寿西1-31-15-2F(* 1F セブンイレブン)

お問い合わせは、私までお願いします。
DMもお送り致します。

http://www.kawabemasanori.com/展示会情報/

【デトックスについて】

 デトックスは今では流行り言葉のようですが、毒と毒出しについて、ちょっと異なる意見を書いてみたいと思います。
 「体に悪いものを取ってはいけない」ということはよく言われますし、私も言うのですが、これは何をもって悪いと言うかで、だいぶ話が変わってきます。
 例えば煙草ですが、体に良いものではありません。しかし精神には、人によっては良いものなのです。「人によっては」ここに注目して下さい。その人が一服の煙草によって体を緩めたり、瞑想的になれるのであれば、それはトータルに良いものなのです。
 人間は精神8:肉体2で出来ていると私は理解しています。体に良い・悪いもの(=物質)というのは、全体の内の2についてしか語っていません。勿論、精神的に効用の無い、例えば惰性の喫煙は体に害しか与えないでしょう。
 人間にとって重要なことは、「精神が健全に機能しているかどうか」であって、
だけメンテナンスを続けても解決できない身体的症状は多々ありますし、肉体だけ磨いたところで人生が上向くわけでもありません。
 私のアトリエに訪れる方の半分くらいは、健全な生活に留意されている方ですが、比較的多い割合で壁に当たっています。私はここで「良い・悪い」という尺度に再考を促したいと思います。
 天然酵母がイーストより「良い」ことは明らかです。しかし自分の肉体が天然酵母に追いつかない場合があります。このようなことが起きる理由は、成長期の食生活にあります。生まれてから成長期が終わるまでに食べたものがその人の肉体を構成しているので、簡単に言えば、不純物を食べて育てば不純物が自分には適合化されたエネルギーになるのです。だからと言って、その人の精神が不純であるということでは、勿論ありません。そして言うまでもなく、完全に健全、完全に不純ということもあり得ないでしょう。つまり程度の問題なのです。そこで提案したいのは、あらゆる禁止・正論の言葉を忘れて、食べたいものを食べてみて下さい、ということです
 この観点で、安易なデトックスを私は信用していません。毒を追いだしても、体は自分に必要な分の毒は、再摂取するように出来ているのです。それで全体が構成されている。もしかしたらあまり浄化などということを考えないほうが良いのかもしれない、と最近は考えます。その人がその人の適した在り方をしていることが重要です。
 その上で、個性を超えて「体に良いはずがない毒」があります。様々な化学物質や放射能や遺伝子組み換え食品を始めとする、その多くが未確認の現代の弊害です。そのようなものを洗い流すために、今後はヒーラーや何かしらの方法が必要となる時代になることでしょう。
 今はとても難しい時代で、毒はあるのが当たり前で、毒込みで人体が構成され、その上で「完全に健全なもの」への憧れもあるが、自分に必ずしも合うわけではない。しかし何も知らず毒にまみれていてはいずれ病気をし、環境もどんどん汚染されている・・・
 私は今のような世の中で、方角を示せる船頭のような存在だと思っています。ご縁のある方は、アトリエにお越し頂ければと思います。

2014年12月8日月曜日

業病(ごうびょう)について


  どれだけ健康的な生活に気を配っても、実践しても、体をヒーリングやヨガできれいにしても、どうにもならないような病気を持っている人がいます。
 このような病気を、業病と言います。前世から引き継いでいるものと、先祖から引き継いでいるものの2種類があります。もちろん、複合的な場合もあります。
 業病は、かなり手ごわいです。荒らぶる火のように、手をつけられない場合があります。
 「なぜ自分がこんな目に?」
 「自分が何をしたと言うのだろう?」
 こう考えるのは当たり前と言えますが、あまり意味がないです。分かったところでどうにかできる問題ではないので。それよりも、その解決、融和に取り組むべきです。
 私はこれまで業病を数件見てきていますが、それらの人はみな口をそろえて、今まで医者からもヒーラーからもカウンセラーからも理解されたことがない、と言います。専門家は誰もが自...分の正攻法を持っています。その方法に載せれば治るはず、と考えるのは無理もありませんが、スピリチュアルな観点がないのだと思います。すべては肉体に現れますが、対肉体にとどまる解決法は、時として業病を悪化させます。
 業病は前世や先祖を引き継いでいる、と書きましたが、「個性として臓器の弱点」も同じで、ただ程度が軽いにすぎません。誰もが長い魂の旅をしており、過去の延長を生きています。そして途中で何かが絡まり、何かを解こうとしているのです。業病が治る時には、自分の過去も多少は分かります。自然とそうなるのです。治るより前に分かることはないので、考えるのは無駄です。
 「《私》には分からないが、魂は解決しようとしている」
 人生を長い尺の中で捉え、自分の問題を位置づけるようにしてください。
 

2014年12月7日日曜日

【ヒーリングの流れ】

【ヒーリングの流れ】

ヒーリングの工程について、お話します。

まず初診の時、体がどのような状態か診断してお伝えします。
おおまかに言って、どんな体も経年で疲れや毒を蓄積しているので、...
クリーニングとメンテナンスが必要です。
余程、健康面に気を使っている方でも、
「何もする必要なし」ということはないようです。

一般的に、食生活の影響で肝臓はどなたもダウンしている状態です。
肝臓の機能が低下すると、全身に不調を来たしますので、
あれこれ試すよりも、まず肝臓、です。

余程のことでもない限り、肝臓の状態は
私のヒーリングで簡単に改善されますので、
体を良くするのにいろいろ試すよりも、
まずは体を見せに来て下さい。

診断は具体的に、どこが悪くて、どれくらいで治るか、
お伝えしています。

標準的な方は10回です。
問題が難しい場合は30回くらいになりますが、
あらかじめお伝え、見積もりを基本的に順守しますので
延々と通わされる、ということはありません。
 
通常料金5000円
初回1000円
5日以内の施術で2000円OFF
10日以内の施術で1000円OFF
です。


 週に1度くらいの頻度で通って頂き、
クリーニング、メンテナンスが終わった時点で、
「卒業」ですが、それに際して、
体の弱点をお伝えします。

これは個性の一部で、誰もがどこかしら弱い臓器を持っているのです。
これを治すことはしません。
個性ですので。

疲れが溜まったり、食生活が荒れたり、人生がネガティブな方に向かったりすると、
くぼみに水が溜まるように、弱点の臓器に病気が発生します。

最初の10~30回が終わりましたら、
3カ月後にお声をかけ、体の様子をもう一度診させて頂きます。
その時点で、状態が劣化しているようでしたら、
生活に問題があるので、食生活を含めてアドバイスをします。

また、以降、調子が悪くなった時には、
すぐに治そうとして薬を飲んだりせず、
アトリエに来て下さい。
不調は体からの声なので、それをかき消すことは長期的に不利だからです。
声を聞き入れながら、治していく。
そのような生き方を、新しい標準として頂ければと思います。

ヒーリングを効果的にするために、食生活の改善や
朝1分間の祈りを推奨しています。
ご不明な点がありましたらお問い合わせください。

2014年12月6日土曜日

【祈りについて】

【祈りについて】

最近、「朝1分間の祈り 友の会」というものを立ち上げました。
何の拘束もない、各自勝手にやる会です。
集会も会費もありません。
勿論、無宗教無宗派です。

祈りは人間にとって実は必要な営みで、
ある意味で不可欠の栄養素と思って頂いて構いません。
それが足りないと、色々な欠乏症が出ます。...
どんな欠乏症かと言いますと、今の世の中がそのままです。

慌ただしく、攻撃的否定的で、寛容さがありません。
他人の目に動かされ、次から次へと起こる問題に終われて疲れ果てる。
政治も経済も社会も家庭も健康も、ここに原因の大部分があるのです。

祈りなどと言うと、宗教的と思われるかもしれませんが、
直接的な関係はありません。
そして祈りは頑張って祈るもの、
心の清い人がすること、
と思われるかもしれませんが、それは間違いです。

これから重要なことを言います。

「人間は、何もしていない時、
自動的に祈りの状態になる精神的存在なのです。」

朝1分間、というのは、朝のエネルギーが新鮮で強いからです。
祈りの状態になるのに適した波、というような感じです。
1分間であるのは、それ以上だと長すぎるからです。

祈りは1分もあれば通ります。
・・・と書いたところで、書き加えたいことがあります。
それは、「祈りとは、願いが叶うことではない」ということです。

じゃあ何?と思われるかもしれません。

「なるべきようになる」それが祈りなのです。
「なるべきようになっていない」それが祈りがない状態なのです。
実際、ほとんどの問題は、この一文ではないでしょうか。

「なるべきようになる」
これは自動的に行われます。
だから祈りに目標は要りませんし、
「・・・になりますように」は不要です。
どちらかと言うと、このような言葉があると駄目です。

祈りとは、魂のレベルに軸足を移す、ということを意味します。
普通、我々は肉体や感情や思考のレベルで生きています。
そこでは言語が大きな力を持ちますので、言語で理解も可能です。

魂のレベルは一層も二層も深く、言語的ではありません。
なので、魂のレベルにある時には、言語は通用しないし、
言語で把握もできないので、
何も考えず、思わず、で良いのです。

人間は何もしない、思わない、考えない状態になると、
自動的に魂のレベルに軸足が移し、
いわゆる「人生の不可思議」なエネルギーを行使し始めます。

そのような人は、
病気がひとりでに治ったり、
家族が和解したり、
仕事の問題が解決したり、そんなことが起きます。
本当の意味でクリエイティブな人は、話を聞いていますと、
だいたいみなさん自分なりの祈りをしているようです。

祈りは、何もしない状態なので、1分が限度です。
それ以上だと、雑念が湧いてきます。
1分だったらどうにか耐えられるでしょう、ということで、
1分間だけの祈りを推奨しています。

欲張って3分などせず、毎日繰り返すようにして下さい。

冒頭にも書きましたように、祈りは人間という存在にとって
不可欠の栄養素なのです。

興味のある方はお問い合わせください。

2014年12月5日金曜日

【霊的メッセージ、これからの世界について】

 続いて、アセンション方面の話をしたいと思います。

その前に、なのですが、私はいまいちそちらの方面を信じていません。
仕事柄、スピリチュアルな話題に触れることも多いため、
いろいろ話を聞く内に知るようになりましたが、
どうも近付きがたいのです。

アトランティスや竜やアセンションや宇宙人のことを聞いても、...
否定はしないのですが、あまり興味が持てません。
真に受けることが出来ません。

その理由が最近分かりました。

それは「固定観念の窓」という発想です。
(*最近発明しました。)

人は誰もが世界観を持っています。
「私は**なはず」
「世界は本当は**なはず」
など、これは人それぞれの固有の世界観で、
誰にも侵すことのできないものです。

例えば私は「何でも目に見えるはず」と考えるのです。
だから「見えないものがある」ということが信じられないのです。
私の脳内では、
「神は目に見える。それは肉体や世界という形を取っている」
という論理です。
「神は見えないけれど、いる」
という考えではないのです。

これが私の「固定観念の窓」です。
そのようにしか見えない、生まれついての世界観です。

スピリチュアルな話題、見解で、これまで同意できたものはありません。
それは私が知る限りですは、「無いもの」について語っているからです。
勿論、自分が正しいと言っているのではありません。
ただ、自分に呑みこめないものを無理に分かっても、頭で分かるだけなので諦めているのです。

そこで、自分にとって自然な世界観を、しばらくの間
自分で探していました。

アセンション的なものは、やはりあると思います。
しかし私にとってそれは非常に素朴です。
ただ自分の体、心、縁、を全うすることなのです。
それを通してしか、あり得ないと思う。

という私の「固定観念の窓」です。

一人ひとり、体と心を、
目の前に広がる風景や、聴こえる音や、
食べるものや、人との繋がりを今までよりももっと感じ、
大切にすることなのだと思います。

自分が喋っている時は人の話を聞いていないし、
食べる時は、味だけ感じて命を感じない、
人前にいると自分のペースを失う、
こういう人が多過ぎるのです。
社会も経済も、そちらの方を向いています。
だから人は人を傷つけるし、他の生命も、地球も傷つけます。
このようなところに目を向け、改めていくところから
アセンション的なものが始まると私は思います。

・・・で?
何をしたら?

と思われると思います。

今は宇宙の大切な時なのは事実です。
だから様々な問題が次から次へと噴出するし、
人類がこのままでやっていけるとは誰も思っていないでしょう。

この重大な時期に、ヒーローや神や高次元世界を持ちだすのは
確かに説明としては簡単です。
でもいろんな人と話していると、すっきり説明されてかえって
もやもやしている人がいるのを見聞きします。
私もそうです。

そんな簡単な話で良いのだろうか、と。

そして私は上の考えに戻るのです。
本当の意味で、美しい人間になりたい。

美しい人間になったら、何が得られる?
美しい人間にならなかったら、どうなる?

そういう考えは釣りでしかないので、しないことにしています。

美しい人間になりたい、と思うかどうか、だけです。
これもその人の「固定観念の窓」
で、思うなら、そうなるように、そうあるように、
努力をすれば良いのです。

まったく締まらない話ですが、
もしこの話を自然と受け取られるようでしたら、
この考えに絡めて、ご自分の体や心と向き合うことを始めて下さい

神について

 今日ははじめて、神について語ってみたいと思います。
*この話は、無宗教無宗派です。

神、というのは概念である、と私は理解しています。
そして概念である以上、人それぞれの見方、捉え方があるので、
正しい神も間違っている神も存在しません。

中国人、と聞いてイメージする中国人「像」。...
それが実際の一人ひとりの中国人ではないように、
神もまた、人間が「神と聞いてイメージするもの」に過ぎないのです。

一体人間は、何を「神」と思っているのでしょうか。

神という言葉は、正義、愛、秩序、知恵、などと結び付いていますが、
それは主にキリスト教の世界観に過ぎません。
実際には、世界中で、神はもっと捉えどころのない、
優しいかと思えば残酷な、
ルールがあるのかと思えば自分でルールを逸脱する、
老賢者のような、ところが別の時にはいたずら小僧のような存在として、
描かれています。

普通、現代に生まれ生きていると、
神は良い人で、凄い力を持っていて、
とにかく何でもポジティブなエネルギーを持っている、
と思いがちですので、世界の神話などを読まれると驚かれると思います。

つまり神は「力自体」で、ルールも善意もないのです。
たまたま優しかったり、たまたま町を一個燃やしたりするのは、
天候が移ろうのと違いがありません。
太古の人間は、超越的な力に対して、神、と思ったことでしょう。
そしてかなり珍しい例として、
のちにユダヤ教は、神=ルールの持ち主という概念を発明し、
キリスト教は、神=愛の人という概念を発明しましたが、
これは「・・・という解釈」にすぎません。

それが実際ではないので、新旧聖書共に、
神の行為には「論理的な」矛盾点があるのです。
人はそれを論理に照らして、なぜだろうと考えますが、
理由などありません。

辻褄を合せたがるのは、恐らくこの世で人間だけなのです。
神も含めて他の存在は、勝手気ままにやっているのです。

さて、以上は前置きです。

私がお話したいのは、概念化された神ではなく、
概念化という望遠鏡で覗き込まない、もともとの神のことです。

神は究極のエネルギーであると思います。
それは自然現象と言っても良いですし、自然現象を含む、
それ以上の何か、と言っても良いかと思います。

私がヒーラーを始めた理由は、それまで考え続けてきた、
神と人の関係を、ヒーリングを通して叶えられる、と考えたからでした。
*その経緯は過去にこのフィードに書きましたので、
もしよろしければご覧下さい。

・人は神を内側に宿している、
・神は全能である、

この2点をかけ合わせ、ヒーリングというフィルターをかけると、
自然治癒力ですべては治る、という考えになります。

実際には、自然治癒力ですべてを治すことはできない、
というのが、今の私の結論ですが、
性懲りもなく「超」自然治癒力などという言葉を使っているので、
根のところは変わっていません。

ああしなければ、こうしなければ、と世の人々が右往左往しているのを見て、
ずっとおかしなものだと思っていました。
そんなことよりも、自分の内側に答えはあるのに、
そしてそれは何も探す必要がないほど素晴らしいものなのに、と。

このような言葉は今はどこでも目にすることの出来る考えですが、
実際にその考えで生きるのは困難です。
そこにはヒントと、何かしらの助力が必要だと思うのです。
そしてそれをするのは、誰よりも神(的なもの)を信じている
人間がふさわしいはずです。
それで、自分はヒーラーになろうと、この考えでヒーリングをしていくことで、
人と神の距離を近づけよう、としていたのでした。

まあ、宗教家のようなものですが、実際には、そのようなことを
話したことはほとんどありません。

ちょっと驚いたのですが、ほとんどの人は、神に興味がなかったようです。
病気との関係で言うと、治れば何でも良い、という考えの人は沢山います。
この方法で治りたい、という人は稀なのです。
これは、人生に対する信仰心なのだと思います。

ヒーラーの経験から思うのは、
自然治癒力で治る人は、それも劇的に治る人は、信仰心が強いです
治らない人は、神(的なもの)を信じていないというか、
どちらかというと嫌いなのだと思います。
そのような人は、治ると何か他の理由を探します。
「牛乳を飲み始めたからかな」とか。
別に「先生のおかげ」と言ってほしいわけではないのです。
「ああ、こんなに体は治ろうとしていたんだ」
「これからはもっと体を大切にしていこう」
このような考えに至ってほしいと、常々願っています。

多くの人が、体を粗末にしすぎなのです。
体がおかしいと言って、言うことを聞かせようとします。
あらゆる薬やサプリメントを浴びせかけます。
体の声を聞かず、医者の言葉を鵜呑みにします。
使い方が悪いだけなのです。
体から遠ざかっているから、体が壊れるだけ。
どちらかと言えば、治るのは大したことではないのです。
復元能力も搭載された高性能の肉体なのですから。
それを壊せたことの方が、凄い。

私は、神、と考える時、祭壇や祝詞や儀式的なことは
一切必要ない、と思っています。
ただ体を、心を、今という時間を大切に出来れば良いだけ。
人の目を見て、お話出来れば良いだけ。

神を外に置くかぎり、人は神に依存します。
依存だけは、人間がしてはならないことなのです。
それは自分の放棄を意味するからです。
そして関わり合うことをしないからです。
依存は一方的であり、人は得をしても、神は得をしません。
ですので、神様が何とかしてくれる、という考えはやめましょう。
神を何とかするのも自分なのです。

自然治癒力が開花しやすい人、維持しやすい人は、
体のリズム、心のリズムをよく感じることが出来ますし、
空の色や、風の雰囲気や、食べ物の空気感など、
何でもよく感じて、印象を受け取っている人です。
世界と切り離されず、その中で生きている、という感じです。

人は勝手に閉じこもって、狭い部屋の中で空気が淀んで、
そのせいで勝手に病気をしている、と思うのです。
外に出れば、だいたいのものは流れて、治ってしまうのです。

その「外に連れ出す」体験が私にとってはヒーリングで、
その状況を維持するのが、その人のその後の生き方、
あらゆるものを感じながら、外に凄いものや凄い人を求めるのではなく、
自分自身の内に神(的なもの)を感じて、それを大切にする生き方だと考えます。

誰の中にも神が宿っていることは疑いようのないことだと思いますが、
それを吹き消すのも簡単です。
自分の内なるエネルギーは、宇宙の大切な構成要素で、
自分を大切にすることは世界や宇宙を大切にすることと等しいのです。

ちょっと、ここまでにします。

2014年12月1日月曜日

初回1000円を続けます。

11月は1000円キャンペーンによって、
いつもよりたくさんの人に会うことが出来ました。
ありがとうございます。

諸々、良い意味で世間並みを目指し、
「見えている人(=ヒーラー)だけが分かっていれば良い」...
「命は水モノなのだから安易に判断はしない」
といった仙人的な有り方から脱し、
「分かりやすさ」に努めるようにしています。

施術に際しては、現状の診断と、将来の病気の見込みや
施術回数の見積もり、
現在、治している箇所などを明確にお伝えするようになりました。
・・・こう書いてみるとサービスとして
アタリマエのことばかりではありますが、
命というものの幅広さ、深さを前にして
「はっきりしたことは言えません、分かりません」
を貫いてきた自分としては、脱皮のような体験をしました。

決して適当な妥協をしているのでも、
生命に対しても思いあがっているのでもありません。
依然として、分からないことは多いですが、
分かることも増えています。

「こうした方が伝わる」「分かってもらえる」
ということに、最近は関心が向いています。

それは絵の活動によるものかと思うのですが、
絵だけ見せられても、分かる人は分かりますが、
「もう一言あれば分かる人」の方が実際には沢山います。

この「もう一言」は魔法のようだと最近は感じます。
ぐっと距離を縮めてくれるからです。
それがヒーリングに関しては、
自分が分かる範囲での診断、見込み、見積もり、
なのだと思います。

「分かる努力をせい」
これは、命の道では絶対に必要ですが、
自分は命の道そのものではないのですから、
橋渡しの務めがあるかと思います。

それは医学測定とは違うかもしれません。
他のヒーラーとは違う見解かもしれません。

しかし私の診断であり、それをきちんと伝えることは
出会いを全うすることだと思えるのです。

今、日本のみならず世界的に、
食を巡る環境をはじめとして、
人間が人間らしく生きていくための条件は
きわめて悪い、と危惧しています。
これからますます悪くなっていくことでしょう。

知らない間に、おかしなものをおかしいとも思わず食べ、
病院に行けば医者の言われた通りに薬を飲み、
薬によってかえって以前よりも病気をしている。

そんな人ばかりです。

体に良いこと、体に悪いことは、
今は多くの方がご存知ではないでしょうか。

しかしそれは分かっても、そこに回すお金がない、
というのは私は甘えや怠けだとは、私はどうも思えないのです。
(*勿論、ただ怠けている人には喝!を入れます)

生命力が、時代に押されている、という感じを受けています。
私はそれを、何とかしたいと思います。

話がくどくど長くなりましたが、
上記の見解に、今の日本の経済状況をプラスして考えますと、
今後も、初回1000円を続けていくのが良いのではと思えますので、
そうします。

今後ともよろしくお願いします。
 
先日収録のてくてくTV