2014年12月12日金曜日

ブログ、移転します。

http://ameblo.jp/kawabemasanori/

移転します。

・・・が、もし「違うな~」と思ったらこちらに戻って参ります。

よろしくお願いします。

2014年12月11日木曜日

【霊性について】

【霊性について】
 人間は霊的存在です。昨日の記事で書いたように、人間の構成は精神8:肉体2、と私は経験的に理解しています。人生は、精神が望みを叶えるために展開していきます。だから、本当の意味で精神が望んでいないことは、叶わないようになっているのです。生まれてきた目的は自分の過去を浄化することかもしれないし、誰かと出会うことかもしれないし、自分に新しい挑戦をさせるためかもしれない。人によって様々です。
 スピリチュアルな言葉でよく語られる「魂の成長」という考えを信じないで下さい。魂は成長しません。なぜなら、魂はすでに完成され、自足しているからです。魂の成長は無い物ねだりで、自分を見ていない、大切にしていないことの裏返しでしかありません。勿論、生きている間に精神は変化も成長もします。しかしその望ましい形は、自分の本来の在り方、つまり魂の在り方に還っていくことであって、何かを新規に求めることで...はないのです。
 魂の在り方は、自分の趣味嗜好や信念や繰り返されるパターンの中に必ず現れています。自分の身に起きること、心に思うことに柔軟に忠実にあることが大切です。今すぐには出来なくても、それに近付いていこうとする意識が、自分を魂に近付けていきます。
 人間の霊性は、統計学や科学や一般論には計り知れない力を持っています。それは魔法と言って良いでしょう。しかし人間にとって、本来標準的な素質なのです。例えば、私は「思う」だけで人の体の状態を良い方に変えることが出来ます。なぜそんなことが出来るのかと言えば、それは私が自分の精神エネルギーの存在と個性を信じているからです。自分がそれを信じていない時、私はもっと堅実な、「他の人もやっている」やり方の中に自分を閉じ込めようとしていました。それは自己否定でしかありません。そのような時には、自分の本当の力は発揮されることなく、人の真似をしては完全なコピーを出来ない自分に出会いました。
 ヒーリングは確かに特殊能力ではあります。しかし人間の精神エネルギーが最も良い形で発揮されるのは、「存在していること」です。その人が自分の魂に沿い、その人の固有の精神エネルギーを充分に発揮している時、その人の周りでは沢山の起こるべきことが起き、他人を、関わる世界を良い方向に向かわせるのです。
 音楽や絵や料理、その他あらゆる創作活動において重視されるべきは、「その人の固有の精神エネルギーがそれを作っているか否か」という点です。世の中を見ますとほとんどのものは、精神エネルギーゼロです。売れる形、誰かがやっている形、お洒落な形、そればかりで、どんなに品の良いもの、上手なもの、美味しいものでも精神性が宿らず、精神性を軽視し拒否する現代の様相を表しています。そのような在り方でどれだけ良いもの、確かと思えるものを作り続けても、死や病気や人災、天災といった、もっと大きなエネルギーの前でまったく無力でしかありません。
 人の世を照らすことは、人間の生まれてきた目的であり、課題でもあります。人は人の世を照らすことが出来て初めて、意味を持てる存在なのです。人が一人ひとり、群れとしての大きな目的に気付き、人の真似をし、社会の真似をすることなく、自分に宿された自分だけの在り方を全うして生きられることを、強く望みます。

2014年12月10日水曜日

個展:年末、代官山・恵比寿

12月26日~29日、代官山・恵比寿のギャラリーで、個展を開きます。

今回は事実上の2人展で、小淵沢の友人に、額の制作をお願いしました。
出展する作品は、今回は思い付くままバラバラ、ではなく
互いに関連性のある連作としました。
1枚の絵から広がる予感を別の絵に繋げ、
すべてが関わり合いながら、直接には決して重なることのない、
結び目のゆるい服のように描き進めています。
(残すところあと1枚)
 

絵は次第に物語となり、今では架空の世界に地名も出来て、
地図も生まれつつあります。

この空想に確かな(文字通りの)「枠」を与えてくれた
もう一人の作家の素晴らしい額と共に、ご覧いただければ幸いです。


A.S ANTIQUES GALLERY,代官山
26日 17:00 - 19:00
27日 12:00 - 19:00
28日 12:00 - 19:00
29日 12:00 - 18:00 *最終日
*代官山正面口徒歩1分
恵比寿駅JR西口徒歩5分
渋谷区恵比寿西1-31-15-2F(* 1F セブンイレブン)

お問い合わせは、私までお願いします。
DMもお送り致します。

http://www.kawabemasanori.com/展示会情報/

【デトックスについて】

 デトックスは今では流行り言葉のようですが、毒と毒出しについて、ちょっと異なる意見を書いてみたいと思います。
 「体に悪いものを取ってはいけない」ということはよく言われますし、私も言うのですが、これは何をもって悪いと言うかで、だいぶ話が変わってきます。
 例えば煙草ですが、体に良いものではありません。しかし精神には、人によっては良いものなのです。「人によっては」ここに注目して下さい。その人が一服の煙草によって体を緩めたり、瞑想的になれるのであれば、それはトータルに良いものなのです。
 人間は精神8:肉体2で出来ていると私は理解しています。体に良い・悪いもの(=物質)というのは、全体の内の2についてしか語っていません。勿論、精神的に効用の無い、例えば惰性の喫煙は体に害しか与えないでしょう。
 人間にとって重要なことは、「精神が健全に機能しているかどうか」であって、
だけメンテナンスを続けても解決できない身体的症状は多々ありますし、肉体だけ磨いたところで人生が上向くわけでもありません。
 私のアトリエに訪れる方の半分くらいは、健全な生活に留意されている方ですが、比較的多い割合で壁に当たっています。私はここで「良い・悪い」という尺度に再考を促したいと思います。
 天然酵母がイーストより「良い」ことは明らかです。しかし自分の肉体が天然酵母に追いつかない場合があります。このようなことが起きる理由は、成長期の食生活にあります。生まれてから成長期が終わるまでに食べたものがその人の肉体を構成しているので、簡単に言えば、不純物を食べて育てば不純物が自分には適合化されたエネルギーになるのです。だからと言って、その人の精神が不純であるということでは、勿論ありません。そして言うまでもなく、完全に健全、完全に不純ということもあり得ないでしょう。つまり程度の問題なのです。そこで提案したいのは、あらゆる禁止・正論の言葉を忘れて、食べたいものを食べてみて下さい、ということです
 この観点で、安易なデトックスを私は信用していません。毒を追いだしても、体は自分に必要な分の毒は、再摂取するように出来ているのです。それで全体が構成されている。もしかしたらあまり浄化などということを考えないほうが良いのかもしれない、と最近は考えます。その人がその人の適した在り方をしていることが重要です。
 その上で、個性を超えて「体に良いはずがない毒」があります。様々な化学物質や放射能や遺伝子組み換え食品を始めとする、その多くが未確認の現代の弊害です。そのようなものを洗い流すために、今後はヒーラーや何かしらの方法が必要となる時代になることでしょう。
 今はとても難しい時代で、毒はあるのが当たり前で、毒込みで人体が構成され、その上で「完全に健全なもの」への憧れもあるが、自分に必ずしも合うわけではない。しかし何も知らず毒にまみれていてはいずれ病気をし、環境もどんどん汚染されている・・・
 私は今のような世の中で、方角を示せる船頭のような存在だと思っています。ご縁のある方は、アトリエにお越し頂ければと思います。

2014年12月8日月曜日

業病(ごうびょう)について


  どれだけ健康的な生活に気を配っても、実践しても、体をヒーリングやヨガできれいにしても、どうにもならないような病気を持っている人がいます。
 このような病気を、業病と言います。前世から引き継いでいるものと、先祖から引き継いでいるものの2種類があります。もちろん、複合的な場合もあります。
 業病は、かなり手ごわいです。荒らぶる火のように、手をつけられない場合があります。
 「なぜ自分がこんな目に?」
 「自分が何をしたと言うのだろう?」
 こう考えるのは当たり前と言えますが、あまり意味がないです。分かったところでどうにかできる問題ではないので。それよりも、その解決、融和に取り組むべきです。
 私はこれまで業病を数件見てきていますが、それらの人はみな口をそろえて、今まで医者からもヒーラーからもカウンセラーからも理解されたことがない、と言います。専門家は誰もが自...分の正攻法を持っています。その方法に載せれば治るはず、と考えるのは無理もありませんが、スピリチュアルな観点がないのだと思います。すべては肉体に現れますが、対肉体にとどまる解決法は、時として業病を悪化させます。
 業病は前世や先祖を引き継いでいる、と書きましたが、「個性として臓器の弱点」も同じで、ただ程度が軽いにすぎません。誰もが長い魂の旅をしており、過去の延長を生きています。そして途中で何かが絡まり、何かを解こうとしているのです。業病が治る時には、自分の過去も多少は分かります。自然とそうなるのです。治るより前に分かることはないので、考えるのは無駄です。
 「《私》には分からないが、魂は解決しようとしている」
 人生を長い尺の中で捉え、自分の問題を位置づけるようにしてください。
 

2014年12月7日日曜日

【ヒーリングの流れ】

【ヒーリングの流れ】

ヒーリングの工程について、お話します。

まず初診の時、体がどのような状態か診断してお伝えします。
おおまかに言って、どんな体も経年で疲れや毒を蓄積しているので、...
クリーニングとメンテナンスが必要です。
余程、健康面に気を使っている方でも、
「何もする必要なし」ということはないようです。

一般的に、食生活の影響で肝臓はどなたもダウンしている状態です。
肝臓の機能が低下すると、全身に不調を来たしますので、
あれこれ試すよりも、まず肝臓、です。

余程のことでもない限り、肝臓の状態は
私のヒーリングで簡単に改善されますので、
体を良くするのにいろいろ試すよりも、
まずは体を見せに来て下さい。

診断は具体的に、どこが悪くて、どれくらいで治るか、
お伝えしています。

標準的な方は10回です。
問題が難しい場合は30回くらいになりますが、
あらかじめお伝え、見積もりを基本的に順守しますので
延々と通わされる、ということはありません。
 
通常料金5000円
初回1000円
5日以内の施術で2000円OFF
10日以内の施術で1000円OFF
です。


 週に1度くらいの頻度で通って頂き、
クリーニング、メンテナンスが終わった時点で、
「卒業」ですが、それに際して、
体の弱点をお伝えします。

これは個性の一部で、誰もがどこかしら弱い臓器を持っているのです。
これを治すことはしません。
個性ですので。

疲れが溜まったり、食生活が荒れたり、人生がネガティブな方に向かったりすると、
くぼみに水が溜まるように、弱点の臓器に病気が発生します。

最初の10~30回が終わりましたら、
3カ月後にお声をかけ、体の様子をもう一度診させて頂きます。
その時点で、状態が劣化しているようでしたら、
生活に問題があるので、食生活を含めてアドバイスをします。

また、以降、調子が悪くなった時には、
すぐに治そうとして薬を飲んだりせず、
アトリエに来て下さい。
不調は体からの声なので、それをかき消すことは長期的に不利だからです。
声を聞き入れながら、治していく。
そのような生き方を、新しい標準として頂ければと思います。

ヒーリングを効果的にするために、食生活の改善や
朝1分間の祈りを推奨しています。
ご不明な点がありましたらお問い合わせください。

2014年12月6日土曜日

【祈りについて】

【祈りについて】

最近、「朝1分間の祈り 友の会」というものを立ち上げました。
何の拘束もない、各自勝手にやる会です。
集会も会費もありません。
勿論、無宗教無宗派です。

祈りは人間にとって実は必要な営みで、
ある意味で不可欠の栄養素と思って頂いて構いません。
それが足りないと、色々な欠乏症が出ます。...
どんな欠乏症かと言いますと、今の世の中がそのままです。

慌ただしく、攻撃的否定的で、寛容さがありません。
他人の目に動かされ、次から次へと起こる問題に終われて疲れ果てる。
政治も経済も社会も家庭も健康も、ここに原因の大部分があるのです。

祈りなどと言うと、宗教的と思われるかもしれませんが、
直接的な関係はありません。
そして祈りは頑張って祈るもの、
心の清い人がすること、
と思われるかもしれませんが、それは間違いです。

これから重要なことを言います。

「人間は、何もしていない時、
自動的に祈りの状態になる精神的存在なのです。」

朝1分間、というのは、朝のエネルギーが新鮮で強いからです。
祈りの状態になるのに適した波、というような感じです。
1分間であるのは、それ以上だと長すぎるからです。

祈りは1分もあれば通ります。
・・・と書いたところで、書き加えたいことがあります。
それは、「祈りとは、願いが叶うことではない」ということです。

じゃあ何?と思われるかもしれません。

「なるべきようになる」それが祈りなのです。
「なるべきようになっていない」それが祈りがない状態なのです。
実際、ほとんどの問題は、この一文ではないでしょうか。

「なるべきようになる」
これは自動的に行われます。
だから祈りに目標は要りませんし、
「・・・になりますように」は不要です。
どちらかと言うと、このような言葉があると駄目です。

祈りとは、魂のレベルに軸足を移す、ということを意味します。
普通、我々は肉体や感情や思考のレベルで生きています。
そこでは言語が大きな力を持ちますので、言語で理解も可能です。

魂のレベルは一層も二層も深く、言語的ではありません。
なので、魂のレベルにある時には、言語は通用しないし、
言語で把握もできないので、
何も考えず、思わず、で良いのです。

人間は何もしない、思わない、考えない状態になると、
自動的に魂のレベルに軸足が移し、
いわゆる「人生の不可思議」なエネルギーを行使し始めます。

そのような人は、
病気がひとりでに治ったり、
家族が和解したり、
仕事の問題が解決したり、そんなことが起きます。
本当の意味でクリエイティブな人は、話を聞いていますと、
だいたいみなさん自分なりの祈りをしているようです。

祈りは、何もしない状態なので、1分が限度です。
それ以上だと、雑念が湧いてきます。
1分だったらどうにか耐えられるでしょう、ということで、
1分間だけの祈りを推奨しています。

欲張って3分などせず、毎日繰り返すようにして下さい。

冒頭にも書きましたように、祈りは人間という存在にとって
不可欠の栄養素なのです。

興味のある方はお問い合わせください。

2014年12月5日金曜日

【霊的メッセージ、これからの世界について】

 続いて、アセンション方面の話をしたいと思います。

その前に、なのですが、私はいまいちそちらの方面を信じていません。
仕事柄、スピリチュアルな話題に触れることも多いため、
いろいろ話を聞く内に知るようになりましたが、
どうも近付きがたいのです。

アトランティスや竜やアセンションや宇宙人のことを聞いても、...
否定はしないのですが、あまり興味が持てません。
真に受けることが出来ません。

その理由が最近分かりました。

それは「固定観念の窓」という発想です。
(*最近発明しました。)

人は誰もが世界観を持っています。
「私は**なはず」
「世界は本当は**なはず」
など、これは人それぞれの固有の世界観で、
誰にも侵すことのできないものです。

例えば私は「何でも目に見えるはず」と考えるのです。
だから「見えないものがある」ということが信じられないのです。
私の脳内では、
「神は目に見える。それは肉体や世界という形を取っている」
という論理です。
「神は見えないけれど、いる」
という考えではないのです。

これが私の「固定観念の窓」です。
そのようにしか見えない、生まれついての世界観です。

スピリチュアルな話題、見解で、これまで同意できたものはありません。
それは私が知る限りですは、「無いもの」について語っているからです。
勿論、自分が正しいと言っているのではありません。
ただ、自分に呑みこめないものを無理に分かっても、頭で分かるだけなので諦めているのです。

そこで、自分にとって自然な世界観を、しばらくの間
自分で探していました。

アセンション的なものは、やはりあると思います。
しかし私にとってそれは非常に素朴です。
ただ自分の体、心、縁、を全うすることなのです。
それを通してしか、あり得ないと思う。

という私の「固定観念の窓」です。

一人ひとり、体と心を、
目の前に広がる風景や、聴こえる音や、
食べるものや、人との繋がりを今までよりももっと感じ、
大切にすることなのだと思います。

自分が喋っている時は人の話を聞いていないし、
食べる時は、味だけ感じて命を感じない、
人前にいると自分のペースを失う、
こういう人が多過ぎるのです。
社会も経済も、そちらの方を向いています。
だから人は人を傷つけるし、他の生命も、地球も傷つけます。
このようなところに目を向け、改めていくところから
アセンション的なものが始まると私は思います。

・・・で?
何をしたら?

と思われると思います。

今は宇宙の大切な時なのは事実です。
だから様々な問題が次から次へと噴出するし、
人類がこのままでやっていけるとは誰も思っていないでしょう。

この重大な時期に、ヒーローや神や高次元世界を持ちだすのは
確かに説明としては簡単です。
でもいろんな人と話していると、すっきり説明されてかえって
もやもやしている人がいるのを見聞きします。
私もそうです。

そんな簡単な話で良いのだろうか、と。

そして私は上の考えに戻るのです。
本当の意味で、美しい人間になりたい。

美しい人間になったら、何が得られる?
美しい人間にならなかったら、どうなる?

そういう考えは釣りでしかないので、しないことにしています。

美しい人間になりたい、と思うかどうか、だけです。
これもその人の「固定観念の窓」
で、思うなら、そうなるように、そうあるように、
努力をすれば良いのです。

まったく締まらない話ですが、
もしこの話を自然と受け取られるようでしたら、
この考えに絡めて、ご自分の体や心と向き合うことを始めて下さい

神について

 今日ははじめて、神について語ってみたいと思います。
*この話は、無宗教無宗派です。

神、というのは概念である、と私は理解しています。
そして概念である以上、人それぞれの見方、捉え方があるので、
正しい神も間違っている神も存在しません。

中国人、と聞いてイメージする中国人「像」。...
それが実際の一人ひとりの中国人ではないように、
神もまた、人間が「神と聞いてイメージするもの」に過ぎないのです。

一体人間は、何を「神」と思っているのでしょうか。

神という言葉は、正義、愛、秩序、知恵、などと結び付いていますが、
それは主にキリスト教の世界観に過ぎません。
実際には、世界中で、神はもっと捉えどころのない、
優しいかと思えば残酷な、
ルールがあるのかと思えば自分でルールを逸脱する、
老賢者のような、ところが別の時にはいたずら小僧のような存在として、
描かれています。

普通、現代に生まれ生きていると、
神は良い人で、凄い力を持っていて、
とにかく何でもポジティブなエネルギーを持っている、
と思いがちですので、世界の神話などを読まれると驚かれると思います。

つまり神は「力自体」で、ルールも善意もないのです。
たまたま優しかったり、たまたま町を一個燃やしたりするのは、
天候が移ろうのと違いがありません。
太古の人間は、超越的な力に対して、神、と思ったことでしょう。
そしてかなり珍しい例として、
のちにユダヤ教は、神=ルールの持ち主という概念を発明し、
キリスト教は、神=愛の人という概念を発明しましたが、
これは「・・・という解釈」にすぎません。

それが実際ではないので、新旧聖書共に、
神の行為には「論理的な」矛盾点があるのです。
人はそれを論理に照らして、なぜだろうと考えますが、
理由などありません。

辻褄を合せたがるのは、恐らくこの世で人間だけなのです。
神も含めて他の存在は、勝手気ままにやっているのです。

さて、以上は前置きです。

私がお話したいのは、概念化された神ではなく、
概念化という望遠鏡で覗き込まない、もともとの神のことです。

神は究極のエネルギーであると思います。
それは自然現象と言っても良いですし、自然現象を含む、
それ以上の何か、と言っても良いかと思います。

私がヒーラーを始めた理由は、それまで考え続けてきた、
神と人の関係を、ヒーリングを通して叶えられる、と考えたからでした。
*その経緯は過去にこのフィードに書きましたので、
もしよろしければご覧下さい。

・人は神を内側に宿している、
・神は全能である、

この2点をかけ合わせ、ヒーリングというフィルターをかけると、
自然治癒力ですべては治る、という考えになります。

実際には、自然治癒力ですべてを治すことはできない、
というのが、今の私の結論ですが、
性懲りもなく「超」自然治癒力などという言葉を使っているので、
根のところは変わっていません。

ああしなければ、こうしなければ、と世の人々が右往左往しているのを見て、
ずっとおかしなものだと思っていました。
そんなことよりも、自分の内側に答えはあるのに、
そしてそれは何も探す必要がないほど素晴らしいものなのに、と。

このような言葉は今はどこでも目にすることの出来る考えですが、
実際にその考えで生きるのは困難です。
そこにはヒントと、何かしらの助力が必要だと思うのです。
そしてそれをするのは、誰よりも神(的なもの)を信じている
人間がふさわしいはずです。
それで、自分はヒーラーになろうと、この考えでヒーリングをしていくことで、
人と神の距離を近づけよう、としていたのでした。

まあ、宗教家のようなものですが、実際には、そのようなことを
話したことはほとんどありません。

ちょっと驚いたのですが、ほとんどの人は、神に興味がなかったようです。
病気との関係で言うと、治れば何でも良い、という考えの人は沢山います。
この方法で治りたい、という人は稀なのです。
これは、人生に対する信仰心なのだと思います。

ヒーラーの経験から思うのは、
自然治癒力で治る人は、それも劇的に治る人は、信仰心が強いです
治らない人は、神(的なもの)を信じていないというか、
どちらかというと嫌いなのだと思います。
そのような人は、治ると何か他の理由を探します。
「牛乳を飲み始めたからかな」とか。
別に「先生のおかげ」と言ってほしいわけではないのです。
「ああ、こんなに体は治ろうとしていたんだ」
「これからはもっと体を大切にしていこう」
このような考えに至ってほしいと、常々願っています。

多くの人が、体を粗末にしすぎなのです。
体がおかしいと言って、言うことを聞かせようとします。
あらゆる薬やサプリメントを浴びせかけます。
体の声を聞かず、医者の言葉を鵜呑みにします。
使い方が悪いだけなのです。
体から遠ざかっているから、体が壊れるだけ。
どちらかと言えば、治るのは大したことではないのです。
復元能力も搭載された高性能の肉体なのですから。
それを壊せたことの方が、凄い。

私は、神、と考える時、祭壇や祝詞や儀式的なことは
一切必要ない、と思っています。
ただ体を、心を、今という時間を大切に出来れば良いだけ。
人の目を見て、お話出来れば良いだけ。

神を外に置くかぎり、人は神に依存します。
依存だけは、人間がしてはならないことなのです。
それは自分の放棄を意味するからです。
そして関わり合うことをしないからです。
依存は一方的であり、人は得をしても、神は得をしません。
ですので、神様が何とかしてくれる、という考えはやめましょう。
神を何とかするのも自分なのです。

自然治癒力が開花しやすい人、維持しやすい人は、
体のリズム、心のリズムをよく感じることが出来ますし、
空の色や、風の雰囲気や、食べ物の空気感など、
何でもよく感じて、印象を受け取っている人です。
世界と切り離されず、その中で生きている、という感じです。

人は勝手に閉じこもって、狭い部屋の中で空気が淀んで、
そのせいで勝手に病気をしている、と思うのです。
外に出れば、だいたいのものは流れて、治ってしまうのです。

その「外に連れ出す」体験が私にとってはヒーリングで、
その状況を維持するのが、その人のその後の生き方、
あらゆるものを感じながら、外に凄いものや凄い人を求めるのではなく、
自分自身の内に神(的なもの)を感じて、それを大切にする生き方だと考えます。

誰の中にも神が宿っていることは疑いようのないことだと思いますが、
それを吹き消すのも簡単です。
自分の内なるエネルギーは、宇宙の大切な構成要素で、
自分を大切にすることは世界や宇宙を大切にすることと等しいのです。

ちょっと、ここまでにします。

2014年12月1日月曜日

初回1000円を続けます。

11月は1000円キャンペーンによって、
いつもよりたくさんの人に会うことが出来ました。
ありがとうございます。

諸々、良い意味で世間並みを目指し、
「見えている人(=ヒーラー)だけが分かっていれば良い」...
「命は水モノなのだから安易に判断はしない」
といった仙人的な有り方から脱し、
「分かりやすさ」に努めるようにしています。

施術に際しては、現状の診断と、将来の病気の見込みや
施術回数の見積もり、
現在、治している箇所などを明確にお伝えするようになりました。
・・・こう書いてみるとサービスとして
アタリマエのことばかりではありますが、
命というものの幅広さ、深さを前にして
「はっきりしたことは言えません、分かりません」
を貫いてきた自分としては、脱皮のような体験をしました。

決して適当な妥協をしているのでも、
生命に対しても思いあがっているのでもありません。
依然として、分からないことは多いですが、
分かることも増えています。

「こうした方が伝わる」「分かってもらえる」
ということに、最近は関心が向いています。

それは絵の活動によるものかと思うのですが、
絵だけ見せられても、分かる人は分かりますが、
「もう一言あれば分かる人」の方が実際には沢山います。

この「もう一言」は魔法のようだと最近は感じます。
ぐっと距離を縮めてくれるからです。
それがヒーリングに関しては、
自分が分かる範囲での診断、見込み、見積もり、
なのだと思います。

「分かる努力をせい」
これは、命の道では絶対に必要ですが、
自分は命の道そのものではないのですから、
橋渡しの務めがあるかと思います。

それは医学測定とは違うかもしれません。
他のヒーラーとは違う見解かもしれません。

しかし私の診断であり、それをきちんと伝えることは
出会いを全うすることだと思えるのです。

今、日本のみならず世界的に、
食を巡る環境をはじめとして、
人間が人間らしく生きていくための条件は
きわめて悪い、と危惧しています。
これからますます悪くなっていくことでしょう。

知らない間に、おかしなものをおかしいとも思わず食べ、
病院に行けば医者の言われた通りに薬を飲み、
薬によってかえって以前よりも病気をしている。

そんな人ばかりです。

体に良いこと、体に悪いことは、
今は多くの方がご存知ではないでしょうか。

しかしそれは分かっても、そこに回すお金がない、
というのは私は甘えや怠けだとは、私はどうも思えないのです。
(*勿論、ただ怠けている人には喝!を入れます)

生命力が、時代に押されている、という感じを受けています。
私はそれを、何とかしたいと思います。

話がくどくど長くなりましたが、
上記の見解に、今の日本の経済状況をプラスして考えますと、
今後も、初回1000円を続けていくのが良いのではと思えますので、
そうします。

今後ともよろしくお願いします。
 
先日収録のてくてくTV

2014年11月27日木曜日

個展のお知らせ

河邊正則 物語展『額から覗く、もう一つの世界』
12月26日 - 12月29日
代官山 AS ANTIQUES GALLERY 
 
 
絵と物語が交錯する新しい試み、連作展です。

もう一つの世界、
どこにもない世界について、
絵と物語で描いてみました。

額はすべて、盟友 大原竜幸さんに作って頂き、
私自身、どんな空間になるか楽しみにしています。

「絵を観に行く」
というよりも
「物語を聞きに行く」...
そんな個展になればと思います。

皆さまのお越しをお待ちしております。

26日 17:00-19:00
27日 12:00-19:00
28日 12:00-19:00
29日 12:00-18:00

代官山正面口徒歩1分
恵比寿駅JR西口徒歩5分

渋谷区恵比寿西1-31-15-2F
(*1Fがセブンイレブン)

http://www.kawabemasanori.com/

2014年11月12日水曜日

【体の構造と正しい解決法】

【体の構造と正しい解決法】

ヒーリングに関して「流れが良い」「悪い」という言葉をよく使うのですが、
漠然とした印象を受けられる方もいらっしゃるかと思いますので、
今日は少し細かく説明したいと思います。
...
背骨の中を脊椎神経が通っています。
このケーブルは自律神経と言われ、
生命維持のために必要なことを体の各部署に伝達しています。
食べ物を消化するのも排泄するのも、心臓を動かしているのも、
この連絡網があってのことなのです。

現在、一般的なのは「悪いところを治す」という考え方ですが、
構造的に見ると、決して正しいとは言えません。
勿論、薬を飲めば「効く」のですが、その意味するところは
その場しのぎであって、そこに問題が発生している原因自体は、
一切解決されていません。
ですので、症状は癖となって延々と繰り返されるわけです。
その行きつくところに癌の診断などという厳しい現実がありますので、
「とりあえず今楽になれば良い」という考えは、
早い内に多くの人に改めて頂きたいと、ヒーラーとして思います。

さて具体的にですが、
脊椎のどのポイントでどの臓器に連絡網が分岐しているかということは、
解剖学によって確認されています。
(*本当は、このようなことを知る必要はないのですが、
体の構造を知って頂きたいとの考えから説明します。)

従って、必ず、ではないですが十中八九、
背骨のわずかな歪みを正すことによって、
連絡網を正常化すれば、問題は自然と解決するように出来ているのです。

逆にこれ以外の方法は、時間も労力も、
コストばかりがかかっておまけに根本的でもないので
少しも良いことがありません。

背骨のわずかな歪みは、それ自体では基本的に問題がありません。
背骨では大した問題ではないが、
下位の部署、つまり臓器にとっては大きな問題だということです。

その観点から、たとえヘルニアでなくとも、狭窄症でなくとも、
背骨の状態を正常化することが、体にとっては、
現在だけでなく将来にわたっても大切で価値あることなのです。

背骨の連絡網が正しく機能している状態を、私は「流れが良い」と
表現しています。

施術時には、一時的に背骨の流れを正常化します。
それにより体は再生運動をフル稼働させることができます。
しかし体には癖が染みついているため、繰り返し施術を受けることが
必要になります。
こうして初めて、体は負担のない状態を覚えていき、
身につけていくことが出来るのです。

http://atelierkoshiki.jimdo.com/

2014年11月7日金曜日

内緒の話や何か

隠者から俗人へ、という言葉が、
今朝、光を浴びていたら浮かんだ。

風が気持ち良い朝です。

ヒーリングと絵とその他いろいろなものが、
螺旋のようにどこかに向かって進んでいる。

どこなのかは、まだ不明。

以前は、ヒーリングしかなかったので、
腕まくりをしていた。
なので、ヒーリングに関して、
敷居を下げることは、どうしても出来なかった。

そこに自分の人生を載せていたので。

絵を描いて、絵でも人と通じ合えることが分かり、
そうすると、音楽でも、人と通じ合えることが分かり、
ヒーリングでは、まあ全部でなくても良いかと、
自然と思えるようになった・・・

相手は人間なので、完全というものはなかなか訪れない。
芸術の創作は、ある意味では人間相手よりは楽です。

ヒーリングで難しいのは、
自分が命を尊んでいるほどには、
いま自分の前にいる人は、命を尊んでいない、ということ。
だから神秘も神秘でなくなる。

相手からしたら大きなお世話で、
病気が治れば良いんだから、難しいことは言わないでほしい、
というところだったかもしれない。
だから、ヒーリングで治らないなら薬で良い、
治ったからそれで良い、という人には随分会った。

その人は、命を大切にはしていない、
命を自分の思う通りにしただけだ、と私はよく感じた。

ここに経済活動ということが重なると、
一気に事態は難しくなる。
結果を出さなければいけないし、
しかし信念の部分では、結果がすべてではない。

ずいぶん、苦労した。

今の日本で、命の尊さを、
生きているだけで幸せとか、
長生きは素晴らしいとかいう意味ではなく、
今、この瞬間に生きていることの大切さを全うするという意味で
語り、実現し、収入を得るのは楽ではない。

絵に会えたのは本当に良かった。
ヒーリングが命を扱っているとしたら、
絵は心を扱っている。
自分の中では。

本当は、心と命(もう少しレベルを下げて、体と言っても良いですが)を
等量大切に出来る人と、出会いたい。
でもそれは滅多にないことなので、
自分に二つの窓口が出来たということは、
人生にとって大きな達成だったと感じる・・・

最近は、このような流れで変化を形にするため、
1000円キャンペーンや、割引サービスなどをしているが、
(これについてはまたのちほど報告します)
今の時代に合わせるため。
その中で生きていくため。

と言っても譲歩、妥協ではないのです。
動物の保護色のように、自分を守り、自分を環境に適応させるため。

本当は、命の道を、社会の常識・通念に擦り寄らせるべきではない。
でも街頭の募金活動などを見ていると、感じるのは、
「それは意味がない」ということ。
その証拠に、ほとんど誰も募金しない。
つまり、社会と噛み合っていない。
別のやり方を、探したほうが賢明だ。
だが恐らく、「これは間違っていない」「募金を無視する日本人は・・・」
という考えがあると思う。

私はよく、「正しさ」を優先して、現実を見ていない人を目にする。
私自身がそうで、かれこれ7年も、ヒーリングに関して、
命の道は何よりも尊い、肩書きも、不況も、関係ない、と考えていた。
実際には、そういうものが影響している。

人は言葉の説明を求めているし、肩書きがあれば安心するし、
安ければ嬉しい。
それは自分も同じだが、命というものに対する信仰心とでも呼ぶべきものが
このヒーラーとしての力を可能にしている身としては、
なかなか受け入れることが出来なかった。

絵によって、ヒーリングは私の半分か半分以下になり、
今は看板も出せるし、自ら院長と名乗るし、
割引もするし、神秘がなくなるまでに説明を言語化している。

普通の人がしていること。
それが、数年前までの自分には出来なかった。

人生には運命の力が働いている。
あの時出来たことは、やがて出来なくなる。
あの時出来なかったことが、やがて出来るようになる。
直観は常に未来を予見している。
だからそれに合わせて、現在の動き方を変えている。

今、自分が自分にさせている変化が、
この先の人生に必要なものなのだと感じている。



命は、本来は説明不能。
だから説明しないままにする人は賢者だし、
説明し尽くそうとする人は愚者なのです。

どちらが生き易いのかと言えば、この世は
断然愚者の方。

人間は、知らないことを恐れ、
知らないということに不満を持つ。
何でも知れると思うし、
知れないものは存在しないと考える。

だから、神はいないし、心もない。
直観も運命も霊的世界も、科学が証明するまで、人は拒絶をし続ける。

今は、今を生きて次に繋げるために、
背骨を直して***、などと言っていますが、
物事を分かりやすくするための便宜です。
命は実際にはもっと複雑。
でも、背骨を軸にかなりの割合結果を出せるのも事実。

骨から入って、魂に至る。

そんな感じなると、良い。


2014年11月5日水曜日

森の子、というシリーズ

今回個展に出した作品を、【森の子】シリーズと名付けました。
ホームページに載せましたので、是非ご覧下さい。

森の子っぽくないものは、「ペン画」のページに入っています。

http://www.kawabemasanori.com/作品/森の子-シリーズ/

今度は年末に代官山で個展をします。

一応、次を一区切りとして、
自分の中にあるものを、文章、音楽、絵の形で、
 交錯し合うように、出していけたらと思っています。

最近は、絵とヒーリングと、交互に投稿する感じが慣れてきました。
両方やって、あと一つか二つ足すと、もっと楽になれそう・・・

これも日頃、投稿した記事を読んで頂いたり、
個展に来て頂いたり、のおかげです。
これからもよろしくお願いします。

2014年11月3日月曜日

ヒーリングのススメ

昨日のペン画展では、
ヒーリングのお話する機会を多く持たせて頂きました。

難しい内容なので、一口で簡単に説明することは難しいのですが、
年のせいか、最近は、こなれてきました^^

文書化してみましたので、読んでみて下さい。

***
 体はトータル(全体)に病気をし、トータルに治っていきます。
「胃が悪い⇒胃を治す」
「腰が悪い⇒腰を治す」
このような方法は、多くの場合、その場しのぎでしかありません。
なぜなら、胃が悪くなるクセ、腰が悪くなるクセが、治っていないからです。
トータルに治していくためには、背骨から正していくことが、正解への近道です。
背骨という、体の真ん中を走るパイプが正されてこそ、健康への第一歩が始まります。

頭痛、肩こり、腰痛、生理不順、冷え性、倦怠感、むくみ、ヘルニアなど、
1~20回の施術で(*症状の程度によります)

「その場しのぎ」ではなく、体の不調のクセそのものを治していくことが出来ます。

「壊れてから行く」のが、病院だとしたら、
「壊れないように作り替える」のが、アトリエこしきです。
アトリエこしきのヒーリングによって、

2007年以来多くの方が、体の不調のクセから解放されています。

ヒーリングに際しては触ることはありません。
気功ではありませんが、気功のように触れずに治す方法です。

体はまだあなたの知らない力を秘めています。
本当の体は、もっと軽く、生き生きとしています。
病気も自分で治してしまえます。
ぜひアトリエこしきのヒーリングを受け、本当の自分の命の力に出会って下さい。

Email: atelierkoshiki@gmail.com
HP: http://atelierkoshiki.jimdo.com/

ペン画展が終わりました。

昨日は、ペン画展でした。


お越し下さいました皆さま、ありがとうございました。

個展をやって嬉しいのは、
絵を観て頂けることの他に、
いろんな人たちに会えることです。

いつもの人、懐かしい人・・・
過去が現在と繋がる気がします。


今回は主に動物たちを描いたペン画集で(時々魔女など)、
前回の個展と異なり、
取っ付きやすいと言うか、
共感して頂ける部分が多かったように思いました。

自分の絵が今日のようにまとめて
人様の家に旅立っていくのは不思議な感じです。

皆さまの生活の中に彩り(と言ってもモノクロが大半ですが)を
与えてくれることを、願っています。

ありがとうございました。

2014年10月31日金曜日

晴恵さんの出張占い(12/6)

こちらのブログで何度か紹介させて頂いている
占い師 晴恵さんが、
メルズサロンで1日だけ出張占いをしてくれます。

占いを日頃気にかけている人も、
信じたこともない人も、
晴恵さんの占いに、きっと背中を押されることでしょう。

12月6日(土曜日)13~16時

鑑定内容は

①タロット(直近の問題)
15分2000円+税
30分4000円+税

②総合鑑定(長期的)
15分3500円+税
30分7000円+税

ご予約は、晴恵さんに直接にお願いします。

晴恵(茂木春江改め)
angelina.ihs1@i.softbank.jp
080-3573-1315
BLOG :angelina-tarot.cocolog-nifty.com/blog/

2014年10月29日水曜日

初回1000円キャンペーン

珍しく、キャンペーンをします。
 
【初回1000円キャンペーン】
アトリエこしき(東京都狛江市)

≪11月1日~12月1日≫まで、
ヒーリング通常1人1回5000円を、
≪1000円≫でお受け頂けます。


 *要予約です。


アトリエこしきでは、
不接触のヒーリングで本来の自然治癒力を発揮させ、
過去7年、数多くの病状を解決してきました。
症状の診断、生活改善のアドバイスも致しますので、
この機会にぜひ、アトリエこしきにお越し下さい。

土曜日のみ、通常価格5000円となります。

ご予約は
下記HP、またはこのFBページへ、お願いします。

http://atelierkoshiki.jimdo.com/

お越しになる際は、香水、煙草の匂いにご配慮下さい。

 

2014年10月21日火曜日

ヒーリング関連:小冊子など作ろうかと

今日は、最近FBに投稿していました記事をひとまとめにして、
印刷しました。
まだ未完成な形ではありますが、
アトリエにお越しになられた方に、今後、配布したいと思います。

ホームページも充実してきましたので、ご覧いただければと思います。...

http://atelierkoshiki.jimdo.com/

今、新しい小冊子を作成しようかと考えています。

その中で書きたいことは、ヒーリングの実例や宣伝的なことというよりは、
生命とエネルギーの原論のようなものです。

科学的に説明するのではなく、
かと言って「そういうものなんだ」で押し切るのでもなく、
私たち自身が、社会によって、時代によって、
「常識」と思いこんでいる考えを一枚剥がした先にある
「本当のこと」を踏まえながら、書いてみたいと思うのです。

その「本当のこと」というのは、オカルトなことではないです。
蜂が花粉を運んだり、夏から秋になったりするような世界に、
私たちは生きているのです。
ただ、私たちは、(これは)比喩ですが、
花粉は「運んでもらわなくてはいけない」と考えるし、
「夏から秋になってもらっては困る」と考えたりして、
家庭生活や、仕事や、健康や社会問題などをめぐってあくせくしています。

その中で、生きるということがあり、病気をするということがあり、
混乱します。
しかしそこから離れて、鳥や花がそうしているように自然を見ると、
あらゆることが、実は整っているのです。

こんなことを、ずっと書きたいと思いながら、難しくてまだ着手していません。
しかしもしかしたら今がその時期かもしれない。

書いてみたいと思います。

という宣言でした。

蠍座のペン画を、占い師の目で

子供の頃からずっと、
ある意味では自分のことを誰よりも分かってくれる大人の女性が、
自分にはいた気がする。

今回の一連のペン画について、
占い師・晴恵さんが紹介して下さいました。


http://angelina-tarot.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-623c.html
「彼の絵は何年、何十年デッサンをし、
画家と名乗る人と比較しないでほしい、違う視点で見てほしい」

「描いている動物たちに、それには「愛」を感じる。
子供や人、動物、自然など
地球上の生きとし生ける物への深い愛や、感謝を。」

この言葉が、とても胸に響きました。
ありがたいことに、個展前にもかかわらず、
一枚一枚と絵が巣立っていきます。

これが終わったら、次は何をするのかな・・・
準備中です。

2014年10月17日金曜日

ペン画展 11月2日(日)下北沢

おはようございます。

久しぶりに、絵について、です。
個展後は、ずっとヒーリング関係でしたね。

この数週間、勢いよくペン画が湧き出てくるので、
その流れを受けて、ペン画展を11月2日(日)に1日だけ、
開催することにしました。

場所は、下北沢です。

DMを現在作成中です。

FBのお知り合いの皆さまには、
のちほどイベントを作成して、
お知らせさせて頂きたいと思います。
*もしご興味があれば、友達申請を送って下さい。招待させて頂きます。

お越し頂けると嬉しいです。



今、自分は何をしているのかな・・・、
と覗いてみると、
「自分の中の子供」が育つのを見ている感じなのだと思います。

子供の頃の自分は、簡単にくじけ、
簡単に人の言うことに流されるような子供でした。
今もそういう性質はあまり変わっていないのですが、
そうは言っても大人ですので、
打たれ弱い子供を守ってやるくらいの強さは備わっていると思います。

未発達な心は、子供の頃に止まった時計の針です。
その針を動かして、
子供の頃の自分に、あのまま絵を描かせていたら、
次には何を描き、次には何を望むのだろう、
そのあたりを見たいという思いがありました。

自分のペン画は観る人を喜ばせたり、くすりと笑わせたりするようで、
自分の他の絵、今までの絵とは違うのだなあと感じます。
友達や家族が、ペン画を観た途端に、
ぱっと瞳を輝かせるのを見て、
何だかもっとお見せしたいような気持ちになってきました。
それで、ペン画展を開くに至った次第です。



写真は作成中のDMです。


 

2014年10月6日月曜日

11.【本来の自分になる】

11.【本来の自分になる】

アトリエこしきは、
業種としてはヒーリングでありながら、
工房を意味するアトリエという名を冠しています。

それは、私がヒーリングを通して、
クライアントさんの体を「本来の適切な形」に戻す、
という営みをしているからなのです。
...
ヒーリングと言いますと、普通「癒し」と理解されていますし、
それは間違いではありません。
しかし擦り傷を癒す癒しもあれば、
根本を立て直す癒しもあります。

私はチェロという楽器を、15年ほど弾いています。
初めの5年ほど、無精な性格から
修理工房を訪ねることがありませんでした。
初めて工房を訪ね、職人さんに診てもらうと
「これは随分無駄な練習をしてきたね」
と笑われました。
その意味するところは、
楽器がその性能を、充分には発揮出来ない状態だったのです。

そのような状態で弾いても、良い音は出ず、
悪い条件の中でもがいておかしな癖をつけたりもします。

(私の人生も、まさにそのようでした)

細かい話になりますが、
チェロはいくつかのパーツから出来ています。
具体的には、そのコンビネーションが狂っていたり、
消耗品の部分は消耗しきっていることが問題でした。

これでは良い音が出るはずもありません。
果たして、調整をしてもらうと、
まるで新しく別の楽器に生まれ変わったかのようでした。

それ以来、私は年に1度くらいは、工房を訪ねることにしています
消耗品を新しく替えなくてはなりませんし、
それ以上に、問題個所がないかどうか、
確認してもらいたいからです。

このチェロとの関わりが、私にとっては、
ヒーリングのあり方のヒントになっています。

壊れたから直す、のではなく、
本来の適切な場所に居続けるために、
最高の状態を保つために、
ヒーリングが必要なのです。

体を適切な状態に保てば、思考も感情もより自然に働きます。

食、職、住の環境が、
今、日本は驚くほどよくありません。
多くの人が環境によってストレスを溜め、苦しんでいるのを感じます。
ヒーラーとしての目でみると、やはり、ほとんど誰もが、
健康面で体に問題があります。
顕在化していないだけで、鬱や苛々や考え過ぎなどの傾向に
影響しているのを感じます。

自分の体を「もっと良く鳴るはずの楽器」と考え、
ご自身の体と向き合って下さい。

いろいろな方法があると思います。
アトリエにも、必要を感じられましたらお越し下さい。

2014年10月2日木曜日

10.【自分自身と向き合うために】

10.【自分自身と向き合うために】

昨日は、「難しいケース」について語っている内に、脱線し、
劇的な成功例について書いてしまいました。

興味深いエピソードではあるので
そのままにしておきましたが、
「あれ、簡単に治っているじゃないか」
と、思われた方もいらっしゃるかと思います。
...
初期の頃、自分でも魔法かと思うくらいの
成功例がたくさん起きました。

何も知らない私は自分の有能さを確信しましたが、
それは完全に真実ではありませんでした。
部分的には一役買っているものの、
治ろうとしていたのは、何よりその人の命であり、
自分はその営みに加わっていたに過ぎないのです。

だからと言って、自分が何もしなかったわけではありません。
極めて重要な役を担っていたのも事実です。

「私が治した」
いや、「命が自分で自分を治した」

この矛盾し合う二つの見解を理屈ではなく、
冷静な感覚として自分に浸透させるのには
長い時間が必要でした。

どんなキャリアにも、ビギナーズラックというものがあります。
先述⑨の成功例などは、まさにそのうちの一つでした。

しかしヒーリング哲学という観点で、今では
このような例に価値があるとは思いません。
なぜなら、その人がそのような体になったことには、
その人の人生の経緯があり、
原因あっての結果であったはずだからです。

早急かつ劇的な症状の解決は、
スペクタクルとしては面白いですし、
尊敬を集めることも出来るのですが、
ヒーラーをヒーローにしてしまい、
クライアントさんから自分自身を見つめる機会を奪ってしまうことが、
良いとは思えません。

誰においても、
その人自身の意志が、何よりも尊重されるべきだと思うのです。

「本当に、このクライアントさんは治りたいと思っているのか」
「治ると思っているのか」
「そのために時間、お金、労力を費やすつもりがあるのか」

これらは極めて重要な問いです。
その人の意志を試す、と言うと、上から目線のようですが、
クライアントさんの心のリズムを優先したいとの考えからです。

そのようなわけで、現在では、過激なヒーリングは起こさず、
比較的静かな(それでも劇的な変化を起こす人はいますが)
長い見通しの中で、施術をしています。

アトリエこしきでのヒーリングが、
自分自身と向き合う機会作りとなればと思います。

2014年10月1日水曜日

⑨【どれくらいで治るのか】

⑨【どれくらいで治るのか】

昨日はケーブルTVの取材でした。

ヒーリングについて、簡潔に、手短に説明するのはとても難しいですが、
これも今の自分に必要あってのことだと思います。
こちらのFBページも、少しずつ言葉にしていく努力を続けたいと思いますので、
今後とも是非よろしくお願いします。

昨日は「何回くらいの施術で治るのか」という質問を受けました。...

答えは、とてもありきたりのものになってしまいますが、
「症状次第」です。
しかしこれだけでは身も蓋もないので、
その内容を、今日は説明してみたいと思います。

例えば、肩凝りを例に取りますと、
一口に肩凝りと言っても、その原因が何に由来するかという点で、
程度は相当に異なったものになります。

(簡単な例)
肉体は、静電気によって硬化する性質を持っています。
ヘッドフォン、ピアス、ネックレス、ヘアピン、眼鏡、腕時計など

その金属部分に静電気を集め、
またはそれが電子機器である場合は、それ自体が静電気を発しています。

慢性的な肩凝りをお持ちの方でも、
これらに気を付け、例えば、
寝る時、休む時には必ず外す、
ということを心がけるだけで、簡単に症状が緩和されることがあります。

実は、数多くクライアントさんの肩凝りを診ていますと、
このような理由によるものが大半です。
しかしまさかイヤフォンや腕時計が理由などとは思いもよらなので
肩が凝る→マッサージを受ける、
という安易な図式が出来上がってしまっているのですが、
原因が解消されない限り、このループは続きます。

このようなタイプの肩凝りは、1回で治ることが多いです。

(難しい例)
一方、難しい肩凝りは、
肩から上にかけての背骨が曲がっていることに由来する肩凝りです
このような場合、曲がった背骨に合わせて、
筋肉が左右非対称に配置されているので、
そのアンバランスが問題となります。
筋肉をゆるめつつ、背骨を正しい形に戻す、
そして筋肉を再配置する、ということを
体が同時に進めていかなくてはならないので、
工程は十数回必要となりますし、
好転反応も不可避だと思います。

すでに何度か書いていますが、
私は施術に際してマッサージやストレッチなど
「触れる」ことをしません。
そのような方法で、曲がった背骨が真っ直ぐになるのか、
と思われる方もいらっしゃると思いますが、
実例があります。

2007年、近江に出張に行った時のことですが、
背骨が曲がった(昔で言うなら背虫です)おばあちゃんの
施術をしていたことがあります。
見る見る間に背骨が立ちあがり、
30分ほどもすると真っ直ぐ立っていたられるようになっていました。

この時、私が理解したことは、
「体は常に治ろうとしている。
本来の形を覚えている。
ただ治るためのきっかけを待っているのだ」
ということでした。

そのきっかけは、私たちの「常識」が選ぶものではなく、
「体」が選ぶものなのだと思います。

・・・

話が逸れてしまいましたが、
一口に肩凝りと言っても、その症状を構成する原因によって、
問題の程度は大きく異なります。

まずは簡単な例の方で説明したことを試してみて、
効果がないようだったら、
難しいケースであることを疑ってみて下さい。

体には分からないことが多いです。
それは人間が作り出したものではなく、
自然の産物だからです。
自然を相手に、人間はどんなに分かったと思っても、
分かり切るということはないと思います。

「どうしてこうも簡単に治るのか」
「どうしてこうもかたくなに治らないのか」

どちらも、理解不能なことが多々ありますが、
分かりきろうとせず、関わる時、
不思議な光景を見せてくれるのが、私たちの人体です。

ヒーリングと併せて、
上述のような観点での診断もしております。
ご不明な点がありましたらお問い合わせください。

お読み下さり、ありがとうございました。

2014年9月30日火曜日

⑧【ヒーリングと思想】

⑧【ヒーリングと思想】

私はヒーラーになる前は、小説の道を志していました。

小説家になることを諦めたことで、
ヒーラーとしての才能を目覚めさせることが出来ましたが、
これは良いことだっと思います。

と言いますのは、ヒーリングを始めた時点で、
私はヒーリングのことを何も知らず、まったくの素人だったからです。...
その代わり、読書と思索の生活の中で育んだ
理想的哲学的な世界観を持っていましたので、
臨床での確信の根拠は常に、
整体やヒーリングの参考書や経験からではなく、
プラトンや老子の世界観から引き出していたのです。

言うまでもなく、このようなものは
現場で実用的なものではありませんが、
深く豊かに、6年のヒーラー業を根底から支え続けました。
もしこのような柱がなかったら、病気と格闘し、
結果を追い求めるうちに、
迷路に嵌っていたことでしょう。

ヒーリングをするのに、プラトンの思想を基礎とする、
などという考えは、荒唐無稽と思われるかもしれません。

しかし前掲⑦で述べましたように、
人間の活動には、意識のあり方が深く影響しています。
「その人が何を思い、何を理解して、それをしているのか」
それが、現実に反映されているのです。

結果を追い求めるだけなら、何も考える必要はありません。
結果を出すために有効な方法を発見し、
それを繰り返すだけで充分です。

しかしいつもこのように考えていました。
例えば、ある人の命を治したとします。
そのことによって、その人が命の道から外れたとしたら、
つまり、生きていることに感謝もせず、
他の命(人も動植物も地球も含めて)をいたずらに損なうのだとしたら、
その人を治すことは正しかったのでしょうか。

小説家を志している頃は、
魂の幸せ、ということだけを考えていることが出来ました。

ヒーラーになってからは、
肉体の心地よさを、どうしても考えざるを得なくなりました。
それは、症状の緩和や解決、という意味です。

しかし結局、人は魂で生きています。
体の問題を和らげたり解決したりすることは
本当の意味での幸せには直結しないことを、
次第に認めざるを得ませんでした。

「人間は自然の一部である」
「自然現象は自己治癒を続けている」
「完全なものは存在可能である」
「無力さを受け入れて初めて、本当の力が湧き出る」

このような考えが、自分の哲学の柱でした。

ヒーリングは技法ではなく、人との関わりそのものです。

場合によっては
「治らない」
と告げることが、治癒への第一歩ということさえあります。

病気を治すのも命なら、病気を作り出すのも命です。
命の上に立とうとしても、何の結果を生み出せません。

ヒーラーとして最も大切なことは、
私に出会ったためにクライアントさんに道を見失わせないこと、
と考えています。

そしてもし可能なら、我々誰もがその道の上を歩んでいる命の道に
立ち帰って頂きたいと願っています。

今日も最後までお読み下さり、ありがとうございました。

ただいま、新しいホームページを準備中です。

2014年9月27日土曜日

⑦【思うということ(ヒーリングの実際)】

⑦【思うということ(ヒーリングの実際)】

昨日は私のヒーリングの方法についてお話させて頂きました。

その中で言及した「思う」ということについて、
今日は書いてみたいと思います。

接触・不接触によらず、
ヒーリングには一般に、2つの意識の働きかけがあると思います。
...
一つは「念じる」「祈る」というもので、
もう一つは「思う」というものです。

これは流派などよりもむしろ、
施術者の個々人の見解の差として現れます。

前者の「念じる」「祈る」系の場合、
施術者はポジティブなイメージをすることなどによって
影響力を高めます。

施術時だけでなく、日頃から
「治しましょう」「長生きしましょう」
というような言葉で、人を励ましたりしていることと思います。

一方、「思う」系の場合、
施術者は何も望まず、求めず、ただそこにいます。

あまりにも無関心そうなので「大丈夫かな」と思われることも多いかと思います。

前述しましたように、私は後者の方法を取っています。

津波とダムについての話題などを見ていますと、
現代、人間には、「人間は自然を超えられる」という発想が
標準化されているように感じます。

私はその考えが正しいのかどうか知りません。
ただ私は、そうは思わないのです。
そして自然とは、外部的に存在しているだけでなく、
内部的にも存在している、
つまり、「私たちの生命は、自然現象である」と私は理解しています。

念じる、祈る、ことは、経験的にも無力でないことを知っています
ただたまたま、私はその方法が有効ではないケースに当たることが
多かったのだと思います。
そして問題解決のために自然と身に付いたのが、
「思う」という方法だったのです。

意識は静止している時に、強い力を発揮します。

今、この文章はヒーリングの説明として書いているのですが、
超自然的な事柄に限った話題では実はありません。

このようなことを考える時、常にヒントにしていたのは
アスリートや演奏家たちでした。

どうやらそこには一定の傾向があるのです。

「能力の高いアスリートや演奏家は、
運動時に他の人よりも落ち着いている。
平常時でも、他の人より落ち着いている。
そして余計なことを言わない。
身ぶり手ぶりが少ない。」

私はこのような傾向を、高度な力を扱うために必要な条件と
考えています。

ヒーラーとして未熟だった時は、
これが「分かっていても出来ない」重大な難問でした。

病気に苦しんでいるクライアントさんを前にすると、
意識は高速回転を始めます。
同情的になり、自分に過度に責任を引き受けます。

蓋を開ければ、そこには、
結果を出せなければ失望されることが怖い、恥ずかしい、情けない
という気持ちだったのだと思います。

勿論、ネガティブな動機だけではありません。
やはり善意から、「良くなってほしい」という思いもありました。

困っている人、苦しんでいる人に
密室で一対一で頼られている状態で、
その荷物を一緒に持たない姿勢を貫くというのは、
難しいものです。

しかしそれが次第に出来るようになっていく中で
「思う」という意識の働きかけが身に付いていきました。

そして関わる、しかし関わりすぎない意識で関わることが、
現象として肉体に大きな影響を与えることを、
やがて実践の中で学んでいくようになったのです。

今日も大変に長くなってしまいました。

お読み下さりありがとうございました。

2014年9月26日金曜日

⑥【ヒーリングとは】

⑥【ヒーリングとは】
]
そろそろ、「どのようにヒーリングするのか」という
話題に入ってみたいと思います。
実は、このことについて言葉にするのは今回が初めてです。
簡単に説明する時には、「手かざし」と言っていますが、
本当ではありません。
「思う」というのが、
私のヒーリングの、正確な内容です。
私はヒーリングについて、
どんな流派にも属さない自己流なので、
これをどう説明すれば良いのかというのは、長年の問題でした。
あるとき、シータヒーリングというものについて聞くことがあり、
これは似ているような気がしましたので、
もしご存知の方は、そのようなものかとご理解下さい。
しかし今回は全く新規に、説明を考えてみたいと思います。
はじめは問診から始まります。
「どこがどう悪くて、いつからなのか、
何を今まで試してきたか、効果はあったか」などです。
この時、私は漠然とそれを聞いています。
料理の味見をする時、
目はその料理をにらんでいるのではなく、
ぼーっと宙に向けられていると思います。
それと同じことです。
恐らくこのような意識の状態が、
直感的に物事を判別するのに有効なのです。
一通り話を聞いて、体を見て、
どこが問題で、
治るかどうか判断します。
問題が複雑だと、判断が難しい場合もありますが、
施術後には、判断できるようになっているので、
必要があれば状態を説明し、
今後の解決の見通しなどとお伝えします。
施術に際しては、上述しましたように、手をかざすのではなく、
「思う」ということをしています。
何となく、それっぽく見えたほうが良いかと思い、
クライアントさんの後ろに立つことにしていますが、
白状しますと、ただのポーズです。
「思う」というのは、
人間に与えられた最も高度な力だと考えています。
それは「誰もが自然としている」という点で、
人間にとって本質的で普遍的な能力なのです。
「同じことをしても人によって、結果が違う」
これはどなたも、経験からご存知のことだと思います。
同じ料理も、人によって味は違いますし、
花を活けても歌を歌っても同様です。
違いの理由を、多くの人は技術や素材に求めますが、
それもありますが、それだけではありません。
この「違いを生み出す力」を、
魔法と言っても良いし、波動と言っても良いですが、
本来人間にとって当たり前の働きなので、
いっそ名前がなければ良いかもしれませんね。
ヒーリングに際して私が使っているのは、この力です。
「人の存在は、何であれ対象に影響する」
多くの人にとって、普通、この現象は無意識的に起こり、
対象との関係(好き・嫌い)や、
自分のコンディションによって揺れ動くため、
「技」とまではならないのですが、
これを安定的、意識的に利用し、
生命活動に変化を起こす、というのが、
私のヒーリングの内容です。
以上、初めてのヒーリングについての説明でした。
難しい内容になってしまいました。
最後までお読み下さいまして、ありがとうございます。

2014年9月25日木曜日

⑤【呼吸について】

今日も、FBページから転載です。
 
***
 
体は自発的に良くなろうとしています。

病気や怪我をすれば、自発的に修復を始めます。

「壊れたら直す」というのは西洋医学の前提ですが、
基本的に、「壊れたら直す」のは体であって、
医者や薬ではないのです。

このような考えは今では珍しくなくなりつつはありますが、
まだまだ言葉だけが流布していると思います。

理屈では分かっても、
実際には「体が自分で治る」のを待てないし、
不調が続くのが不安になる、といったことを、よく聞きます。

そんな時、
「待ちましょうね」
としか私は言えません。

*勿論、ヒーリングはした上で、です。

体が自分で自分を治す、といった言葉を、
実生活、実人生の中に取り入れるために、
今日は書いてみたいと思います。

一番大切なことは、呼吸です。

呼吸といっても、普通の呼吸ではありません。
と言っても、難しい、特殊な呼吸でもないのです。

それは「呼吸に意識が向いている呼吸」です。

無意識の呼吸と意識的な呼吸は、
全然別種のものです。

無意識の呼吸は、多くの人にとって、浅い呼吸です。

慢性的な症状を持っている人や
常に緊張状態にある人を診ると、
必ず呼吸が浅いことを見受けます。

呼吸が浅いと全身にエネルギーが行きわたらず、
回復も分解も摂取も遅くなります。
つまり、何をするにも効率が悪いのです。

例えば、完全に調和の取れた、
安全で健康的な食事に徹しても、
呼吸の浅い人は、充分にその力を取り入れることができず、
一方、それほどでもない食生活でも
呼吸が深い人の体はエネルギーにみなぎっています。

呼吸を深くするということは、
自分の体の潜在性を、可能な限り高めておくということなのです。

これが実は、前回の記事④で
「食材は完璧ではなくても良い」と書いた理由です。

呼吸が自然と深くなって食事が出来る環境作りの方が
もっと重要だと考えるからです。

呼吸を深くするには、ただ、
「呼吸していることに意識を向ける」だけで良いのです。

お腹でも胸でも鼻先でも良いです。
座禅を組む必要もありません。

意識的に呼吸をすれば、した分だけ、
体が本来の働きを始めるはずです。

もしかしたら、たまった疲れが出てくるかもしれませんが・・・
そのあと、必ず楽になる。

もう少し書きたいですが、今日はここまでにします。

お読み下さりありがとうございました。

ヒーリングのご予約は
atelierkoshiki@gmail.com
でお受けしています。

2014年9月24日水曜日

④【食事のこと】

最近は、FBページ「アトリエこしき」に
記事を投稿しています。
こちらは、その転載。

よく話題になる、そして私自身がずっと取り組んでいる、
食事のこと。

私はもともと、健康指向ではありませんでした。
好き嫌いも特になく、出されたものを食べる。
考えというものは特にありませんでした。
おまけにひどい味音痴でした。

ありがたかったのは、胃腸が弱かったことです。
いつも口内炎を作り、お腹も下しぎみで、
体調を崩しやすい体質だったので、
食事を改善していく中で、体感的にいろいろ学ぶことが出来ました。

自分の食事の考えをクライアントさんに伝えると、
症状が劇的によくなることが多くありました。

食事について、久しぶりに書いてみたいと思います。

(1)添加物
まず知っておきたいのは、
日本の一般的な食事がかなり危険だということです。
大丈夫、なことになっていますが、
実は自分の体が麻痺しているだけで、
昼には光に、夜には闇に、眼が順応しているように、
慣れてしまっているだけなのです。
体感で「何ともない」から「大丈夫」と判断しても
少しも当てにはならないのです。

残念ながら今日、食品添加物と化学調味料は、
ほとんどどんな食事にもついて回りますが
不使用のものもあるので探してみて下さい。

*アンテナを張っていると、意外と出会えます。

自分もそうでしたが、このようなことを学んで合点が行くと、
つい神経質になってしまいがちです。
潔癖症になってしまうのです。
しかし完璧である必要はありません。
むしろ、完璧主義は良くないです。

「完璧に出来ないから無理!」
と言って、やる前から投げ出すのではなく
時には無添加のものを食べて、
味や体の反応を自分で体感し、違いがあることや
選択肢があることを知ることが大切です。

「無添加でなければいけない」
「そんなことを言ったら何も食べれない」
どちらも、極端になりすぎないようにしましょう。

(2)水

水道水には塩素が含まれており、
食材の栄養素を壊してしまう上に、
水分自体の体への吸収も効率が悪いので、
浄水器をかけると良いです。

(3)牛肉

牛肉は、人によっては避けた方が良いです。
これがDNA的な問題なのか何なのかは知りません。
ただ、人によっては牛肉を食べることをやめることで
体質が改善することがあります。

(4)食材選び
元気そうな食材を選びましょう。
産地や値段ではなく野菜の表情を見ていると、
いかにも元気そうなものもあれば、具合が悪そうなのもあります。
有機、無化学肥料、無農薬、は野菜を選ぶ時には
当てになる一つの指標ではありますが、
それよりも重要なのは、パワーです。
野菜の勢いの良さを見るようにしましょう。

私は自然食品店でもスーパーでも食材を買います。
以前は、「食材は自然食品店で」と決めていましたが、
今はゆるいです。

なぜなら自分の台所で、良い料理に出来るから。
そしてそれを食べる人の喜びで、さらに良いものになるから。

良品を買い求めるのは、時々とても難しいです。
値段が高いのと、
品目に偏りが出てしまうのと、
そして何より、頭で考え、視野が狭くなってしまうからです。

健康指向全開の時期、
「牡蠣のバターソテーを食べたいなあ」
などと思った時に、
自然食品店に行っても手に入らず、
魚屋では普通に手に入るのですが、
思いもつかないことがありました。

今、日本の食の環境はとても難しいです。

何も考えなくても良いかと言えば、
最後に病気をしてしまうし、
かと言って、考え出すと、食事を禁欲的で
つまらないものにしてしまいます。
本当は何も考えなくて良いのが、理想的なのですが。

「気を付けないで良いわけではない」
「しかし厳密になる必要はない」
「料理と食事は、何よりもまず楽しく」

とりあえず、この3つの言葉で、締めくくりたいと思います。
お読み下さり、ありがとうございました。

2014年9月21日日曜日

③【病気の理由と改善の道】

③【病気の理由と改善の道】

病気や症状には、存在する理由があります。

大きく分けて、3つです。

*以下は、私の個人的見解です。
経験による観察以外に根拠がないことをご了承下さい。

1)体に良くないことをしているから。

現在、私たちの生活には、健康を損なうものが
広く浸透しています。
困ったことには、
公に「別に問題はない」ということになっているのですが、
生活の基礎という点で、実は、大きな問題です。
揚げ出すとキリがないですし、
神経質になるのも嫌ですから、
これは、ということだけご紹介します。
・水道水は浄水器にかけ、
・化学調味料はなるべく取らないようにしましょう。
・女性は、生理用ナプキンをエコ(布)ナプキンにすると良いです。

これだけで、健康レベルは確実に上がります。

2)自分に合わないことをしているから。

体質は各人に固有のものなので、
「みんな大丈夫だから自分も大丈夫なはず」が
通用しないことがあります。
腰が弱い人は、人並みに腰に負担をかけないようにしましょう。
胃が弱い人は、その弱さに適したものを食べるようにしましょう。
こう書いてみると当たり前のことなのですが、
多くの人が、「自分に処理できる以上のこと」をして、
体を痛め、ひどい場合には病気をしているのです。

健康食品などにも同じ考えを持つようにしましょう。
「玄米が良い」「肉は駄目」
これらはすべて「人によっては」なのです。

自分という、この世にたった一つだけの器を
大切にして下さい。

3)本来の生き方をしていないから。

スピリチュアルな話になりますが、
最も大事な話題です。
「自分らしさ」をあらかじめ知っている人は、
なかなかいないと思います。
ぶつかったり、傷ついたりしながら、
「こうじゃない!」と感じるのが常です。
しかしそれは本来の自分のあり方を知るためのヒントなのです。

もしかしたら、もうすでにご存知で、
踏み出す勇気がないだけかもしれません。
毎日、少しずつでも挑戦を続けましょう。
自分の生き方をするようにして下さい。
「こんな自分はいけないのではないだろうか」
という考えを捨て、自分の心と直感に素直に従って生きる人は、
健康的で、輝いています。

ご質問などがあればお答えさせて頂きます。

アトリエこしきでは、
このような観点で、アドバイスと解決を提案し、
ヒーリングの施術をしています。



話は変わりますが、
先日の個展を取材して下さった番組です。
https://www.youtube.com/watch?v=Httn551_Mwg

2014年9月13日土曜日

②アトリエこしきという名前

先週から、ヒーリングを再開しています。

今日は、アトリエこしき、という名前について
説明をしたいと思います。

こしき、というのは
車輪の中心を意味する古い言葉で「轂」と書きます。
この字の篆(てん)書体が、
アトリエこしきのロゴである、不思議な字なのです。

この言葉は『老子』から引用しています。

私の大好きな言葉で、現代語訳すると
「車輪を成す30本の骨は1つの軸から生まれる。
その軸が動かないから、車輪ははじめて機能する」
という意味で、ここに「こしき」という言葉が出てきます。

2007年にヒーリングの仕事を始め、
名前をつけようと考えた時に、直感的に、
「命のこしきを形成するための工房」
=「アトリエこしき」
と名付けようと思ったのでした。

ヒーリングは、結果も大事ですが、
過程の美学も同じくらい大切です。

その場しのぎの対応を繰り返して迷路にはまるのではなく、
大きな視野で命を見て、
解決するべくして解決する。
(=解決できないものを受け入れる)
この姿勢を何よりも大切にしてきました。

「命のこしきとは、どこにあるのか」

それが私の、長らくの問いでした。

脳幹なのか、頸椎なのか、
それとも何らかのエネルギーポイントなのか。
他にも沢山沢山、候補があります。

実際には、そこまで考えなくても良いのです。
これは哲学的な趣味と言っても良いかもしれません。
そして結局、一つに絞ることは出来ませんでした。

ヒーリングからおよそ1年離れて、
絵に集中し、自分について以前より公平客観になることが
出来るようになりました。

自分の理想と、現象世界の実際、
これはしばしば矛盾し合います。
そのどちらも否定せず和解できる形で今、理解しているのは、

「こしきとは、知恵である」
ということです。

何よりもまず、生命が神秘的であること。
意のままには決してならないこと。
私たちは命に従うことは出来るが、命を従えることは出来ないこと。

癌や難病奇病といった難しいものを指して
言っているのではありません。

肩凝りや食欲不振程度のものでさえ、
訳があってそこにあるのです。

以前、私はまだ考えも若かったですし、
生命の摂理というものを頭では理解していても、
実際に困っている人がいると、
どうにかしようとしている自分がいました。

今は、やることはやった上で、

「あとは体に任せましょうね。
治らなかったら諦めて下さい、受け入れて下さい。
私もそれ以上はしません」
と、言える自分になっています。

これは職務の放棄ではなく、
生命の前に、過去よりも謙虚でありたいためなのです。

お読み下さり、ありがとうございました。

もし共感して頂けたら、FBページ「アトリエこしき」に
いいねをして下さると嬉しいです。
 

2014年9月11日木曜日

①ヒーリングのこと

久しぶりに、ヒーリングのこと。

この1年ほどは、画業に専念するため、
ヒーリングから離れていましたが、
先日より、少しずつ、再開しています。


私が2007年から営んでいます
「アトリエこしき」のヒーリングは
(*治良(:ちりょう)と呼んでいます)
手かざしによるもので、
お時間は数分ですが、
生命本来の治癒力を引き出すことで、
自己解決を促します。

基本的に、何度も通って頂くことはなく、
多くても2~3回を適切とします。

*その後、定期的に受けられることは
良いかと思います。

その理由は、引き出すものが
「自然の治癒力」だからです。

何度も繰り返しアプローチすると
「人為的な治癒力」になります。

アトリエこしきは
「人為的な治癒力」の上を行くものとして
「自然の治癒力」を捉えています。

「自然の営み」は、もしかしたら
期待よりもゆっくりとしか進まないかもしれません。
治せないものも、実際にはあります。

しかしそれもまた生命のあり方ですので、
「焦らず、欲張らず、生命と共にある」
そんな姿勢を、
施術者、お客様ともに共有し、尊重できればと思います。

料金は1回5000円です。
初診料などはありません。

ご予約は
facebook のメッセージ(「河邊正則」でも「アトリエこしき」でも構いません)か
atelierkoshiki@gmail.comまで、
よろしくお願いします。

住所は
東京都狛江市中和泉2-7-5
最寄駅は
小田急線狛江駅です。

現在は、アトリエ通路がテントウムシの幼虫だらけなので、
住居側玄関からのお通しになります。

よろしくお願いします。
 

2014年9月8日月曜日

個展が終わりました。

魂の漂泊、というのか・・・
どこへ行こうとしているのか。

いや、
行きたいところは分かっているが、
どういう経路で行こうとしているのか。

二つに分かれたものが、一つに繋がる。
一つと思っていたものが、二つに分かれる。

波のように、時を違えて織り合いながら進んでいく。

人生を、個人的なものとは思わない。

宇宙と繋がっている。

誰かと繋がっている。

たくさんに人に会えた。

懐かしい人、
新しい人、
親しい人。

自分の描く色の世界が、
人の心に触れているのを感じた。

もう少し、流れを感じたい。

ありがとうございました。

*最近はfacebook に書いたものをブログに転載するようになっています。
気軽に友達申請して下さい。



 

2014年9月4日木曜日

明日から個展です。

搬入、行って参りました。
あまり迷うこともなく、ぱっぱと決まりました。
全部で35点くらい。
とても素敵な空間になっています。

お茶を煎じたりするわけではありませんが、
パンやチーズ、ピクルス、飲みものをご用意しています。
お話をしたりする・・・のかな。

明日は18時から、「オープニングお茶会」というものをします。
良い時間になればと思います。
参加費はありません。
会期中、お越しになられた方には
珈琲かお茶をお出しします。
多分私はずっと珈琲を淹れ続けていることでしょう。

私はずっと在廊しています。
どこかで、演奏をするかもしれません。

では明日から4日間。
皆さまのお越しをお待ちしております。

12:00 - 19:00
*最終日は17:00まで

・フラスコ,神楽坂: http://www.frascokagura.com/schedule/2014/09/-9598-120019001700.html
・FB イベントページ: https://www.facebook.com/events/409961349144813/?ref_dashboard_filter=upcoming
・河邊 正則 HP: http://www.kawabemasanori.com/

2014年9月3日水曜日

搬入準備

今日は個展に向けて、荷作りなどしていました。

企画当初は、
これまでに描きためた(と言っても1年半ですが)作品を
展示する、という趣旨だったのですが、
直前になって、新しい絵のイメージが出て来てしまい、
結局全部で19枚も描くことになりました。


これらは、エネルギーのうねりを色と線で表現する、
という共通性から、
≪波動≫シリーズと呼んでいます。

自分が絵を描くということについて、
「こんなことをして意味があるんだろうか」
と思うことがよくあります。

ただ、自分には見える、自分にだけ見える色や線があって、
(誰にでもあるのだと思います)
それを描くことは、
自分の人生の目的ではないが、
世界の役にはきっと立つ、と
最近、描いている最中に思うことがありました。

と言っても、自惚れをしているわけではありません。

人には、食べ物や水が必要ですが、
絵は必ずしも必要ない・・・

と考えることが、実は誤りで、
真実を見落としているのではないかと、思いました。

「肉体には」、食べ物や水が必要で、
「精神には」、色や音が必要なのではないだろうかと、
思っているよりもずっとずっと、必要なのではないだろうかと、
 理屈ではないところで直観した気がしました。

我々は色のある世界に生きているのだということを、
色を感じる心を宿しているのだということを、
お伝えできたらなあ、と思います。

 

2014年8月31日日曜日

占い師と私

知り合いの占星術師の方が、私の個展について、ご自身のブログで紹介してくれました。
この方の占いはとても的確で、占星術やタロットといった占いの力に驚かされます。
http://angelina-tarot.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-9651.html


1年くらいお会いしていませんが、この紹介文も、
まさにそのとおり、でした。
見てたの?と思いますが、
見ているんですね、星の動き、心の動きを。
定めの通りに生きている。
その定めの中に自由がある。
自分の道のり、自分の姿勢というものは、自分で言ってしまうと身も蓋もありませんが、こんなふうに他人の言葉で語ってもらえると、なんだか、荷が軽くなるような心地がします。



その後も、描いています。
今、17枚目(で、休憩中)。
雰囲気が変わって来た。



絵を描いていると、
「これで良し」と思う自分と
「こんなんで良いのかな」と思う自分が交互に現れる。
あれこれ葛藤はしても、
結局、「これで良し」と思う自分を信じさえすれば良い。
自分の感覚、自分の人生なのだから。
「こんなんで良いのかな」と思う時、
頭の中には架空の誰かがいて、
その「良し」は間違っている、と主張するけれど、
それは幻想に過ぎない。
そして気が付く、そういうことのために絵を描いているんじゃない、
生きているんじゃない、ということに。
自分を全うすることは難しいなあ。
でもだんだん分かってきたぞ。
ぎりぎりまで描こう。

2014年8月28日木曜日

14作、描き終わったよ。



全部描いて倒れる図。
個展直前、予想に反して
勢いよく出てくるエネルギーに任せて、
14作描きました。

命の流れを、意識して描いてみました。
同じアプローチをこれだけの枚数続けたのは、初めてです。
いつもは飽きっぽく、すぐに別のものを描いてしまうので・・・

誰も、誰をも止めない。
誰もが、共鳴し合っている。

そんな命の風景を、
自分が好きで、真実と思う風景を、
色と線で描いてみました。

飽きなかったのは、
命の風景が多様で無限だからですね。

それ以外には特に思惑なく描きましたが、
自然と、見ていると何かを連想します。
そこで、一つ一つの作品には、

自然物や自然現象の名前を、タイトルにつけたいと思います。

つくづく、自分は単純な人間だと思います。

単純な人間が単純なままでいたら、
どんなものが出てくるだろう。
と、そんなことに興味があります。

背伸びをせず、自分のままでいる。

来週、金曜から個展です。
お時間がありましたら是非、お越し下さい。

日ごとに、珈琲か煎茶かチャイを、
ご用意したいと思います。

初日の金曜日は
「オープニングお茶会」などと言っておりますが、
特に何もしません。
たぶん、私がその場で珈琲を淹れ続けるだけ。
でも、何か面白いこともあるかな。
保証はできませんが。

土曜日はケーブルテレビ局が取材に来て下さるそうです。
初なので、ちょっとどきどきします。

もしお越し下さるようでしたら、お声かけ下さい。

2014年8月27日水曜日

新作量産モードです。

個展直前になって、新作量産モードです。
 
 

久しぶりに、チェロを弾いています。
楽譜を読むのは久しぶりです。
チェロを弾いていると思うのは、
自分が不自由だということ。


不自由の境界線を越えて、
自由な運動の中に、心と体を投げ出す。
それがきっと、自分にとってチェロを弾く目的。

最近分かったのは、
絵を描く時と同じで、
「近付きすぎてはいけない、
「細かくなりすぎてはいけない、
ということ。

「完璧」に近付こうとすると、
自分からは遠ざかる、
ということに今更のように気が付きます。

「完璧からは遠くても、自分には近い」

ここに満足を見出すには、
精神の成熟が不可欠ですが、
身に着けたい心です。

***

個展と絵について、紹介してくれている記事があるので
是非お読みください。
http://zonoasapantarhei.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html

2014年8月7日木曜日

個展DM

個展のDMが届きました。

きらきらと、朝の光を浴びている。


あと1ヶ月。

これまでに描きためた作品を、多ければ30点くらい出すのですが、
これがなかなか、一人の人間が描いたのかというくらい
分裂症気味で、面白いです。

冗談で、
『河邊正則の統合失調展』
または
『代理人格たちによるグループ展』
なんて言っているんだけれど、
実際、そんな趣を感じます。

観る人の心を震わせるような絵でありたいと思う。
鑑賞用の絵ではなく。
上手い、きれいな絵ではなく。

絵は誰でも描ける。
本当に、誰でも描ける。
でも絵を描けません、という人はいる。
絵は工芸品ではない。
だから上手くある必要はない。
(*勿論、上手い分には、得をするところもある)
心が表われていることが、重要だ。

それが、俺にとっての、絵の真実。

この考えを、自分に出来得る限り極限まで押し広げて、
いつも絵を描く。

その絵を、是非、見て頂きたいと思っています。

「買うつもりがないんだけど」という遠慮は無しにして、
「絵とかよく分からないんだけど」という苦手意識も無しにして、
来てくれると、嬉しいです。

http://www.kawabemasanori.com/

2014年8月4日月曜日

個展のお誘い

いろいろあって、ご無沙汰しておりました。

その後、絵は描いておりません。
小淵沢は楽しかった。
自分を見つめ、人生に区切りをつけ、
進路を取っている間に、
2週間ほど経ってしまった。

個展まであと1ヶ月。

DMは今週中に届きます。
そしたらみなさまにお送りしたいところですが・・・
住所を存じませんので、会える方には手渡しさせて頂きます。

絵の個展と言うと、
敷居が高く感じられるかもしれません。

・絵のことは分からないので、
・買うつもりがないので、

「行っては悪いかな・・・」

と思われるかもしれませんが、
そんなことは全然ありませんので、
少しでも興味を持って頂けたら、
来て頂けると嬉しいです。

場所は、神楽坂です。
9月5(金)から8(月)。

暑いけれど・・・
来てね。

また追って、お知らせを書きます。
http://www.kawabemasanori.com/



2014年7月16日水曜日

個展を、します。

9月5日から8日まで、神楽坂のギャラリー・フラスコで、
個展をします。

「河邊正則絵画展」

facebookで友達の方にはお知らせさせて頂きましたが、
HPでも追ってお知らせします。

来てねん。



さて、今日は2枚描いた。

最近の絵はすべてアクリルです。

まさかこういうものを描くとは思わなかったのだが・・・
9.11になってしまった。


ピカソみたいなイメージが先に来ていた。
ピカソかあ、などと思いながら、とりあえず始めたら、
こうなった。

きっと、必要な経由地だったのだ。

絵を描く時、何も決めていない。
何も決めないで始め、
次第に決めていく。

その過程が好きだ。

どこかで、踏み込まなければいけない地点がある。
そうでないと、緊張感のない、
伝達する力のない絵になるし、
自分の既存の世界を超えられない。
だから、あるところで、均衡を壊しに行く。
すると、新しい次のバランスが生まれる。

象徴について考えるのが好きだ。
だが、象徴を考えて描いているのではない。

「作家によって作られる芸術と、自分で生まれる芸術がある」
的なことを、シラーは言った。

常に、後者と関わっていたい。
その自然の生成に、携わることが、喜びだ。

今日描いた2枚目は、これ。


これについては、言うことは特にない。
美しい顔を描きたかった。

2枚も描くと、へとへとになる。
今日はこれでおしまい。

個展については、またお知らせします。